さて、現象としてのメンタル問題は誰にでもある現象です。
問題とまで言わなくても「心理的ストレス」と言えばこれ頭痛やら倦怠感やらと同様に日常的に起こり得る話しですからね。
これをメンタル問題であるとか精神的問題と規定するのはあくまでも当事者の認定によるのであって(違う方向性を志向しても構造的にどうにも対処が難しいなど)、『ナントカ病』のような固有の病理性が存在すると考えるのは実情と違っている。
(※ここは構造的に自分自身で問題の是非を認識できなくなる側面ある場合は例外だけど、←この場合は心理的問題であると気が付かないが、派生する諸問題を本人が自覚するみたいな間接的ルートになる。→後から「心理的なところが原因ですよ」的な。)
やれギリシャ神話だやれシェークスピアがどうこうじゃないけれど、古くからこの人類ヒト科の自我における心理的な側面の観察なり疑問なりというのは哲学やら文学やらの世界でひとつのテーマになっており、フロイド登場以降それは哲学やら文学に多大な影響を与えた事からも「心理学が心理的問題への理解だけに特化したものではない」。
勿論社会心理という点から社会学との関係もあるし、特に岸田心理学の場合『共同幻想論』的にそっちのがメインかしらと思うようなとこも含まれてくる。
心理問題の発現も「文明論的な社会の変遷に応じて変化する」ので、個人心理学を所属社会の文明化的側面と切り離して考える事もナンセンスである。
それだけ心理学ってのは「その時の社会学的状況と変遷」を重視しないと論点ズレちゃうんだけれども(学問としての神学論争的な意味の心理学は別だけどさ)、
そういう意味で考えるなら「心理学の実践という場面で見た場合、個人が所属している『共同幻想』の内容に応じてあれこれ個別対応的に考えなくてはいけない部分が多い」って事になる。
大雑把に言えば「日本人とアメリカ人のメンタル問題の内容というのは違うのだし(背景となる『共同幻想』が違うのだから)」それに応じる形で問題出現の構造も微妙に違ってくる。
(まさか中世封建社会で身分制度も明快な時代の個人の自我の在り様と現代社会のそれとじゃバックグラウンドが全く違うのだから。)
「所属する『共同幻想』の内容を情報として全く知らない場合」当事者からそこんところ「お国柄」みたいなものを予め確認してから(同時に調べもしてから)じゃないと論議を進められないところがある。こうなっちゃうと文化人類学的な知見がどうのこうのって話。
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そんぐらい「多かれ少なかれメンタル問題は誰にでもある」って事ですよ。
心理学的実践のナントカって状況においては、社会全体広範の見立てが必要になるのだから、「それは個人の話であるのと同時に、人類ヒト科の文明論てもある」←なんですからね。
(それを指して「人間はひとりではいきていけない」的な道徳論引っ張りだされちゃうと困りものですが、←そういう意味じゃないから。)
自我を構成している言語でありロジカルがさ、PCにおけるUNIXがどうたらとか機関的な話に及ぶからなんだけど。
こっからは想像ですけど、
コンピューターの世界でAIの開発が何気に苦労しているのもそこいら辺に原因あるのじゃないかと思います。ミクロに考え過ぎでコンピューターネットワークをソサエティ的に持ってかないとダメなんじゃん。「アダム」を開発しているのじゃないんだから。
逆説的に考えれば「人間の人間たる所以は心理的ナントカにある」って話なんでしょう。
(人間とは考えるナントカじゃないけどさ、)
即ち、そこに標準化だとか究極の人間像みたいなもんがあってもトンチンカンな話だし、「心理学は経済学に似ている」って話にも繋がる。
文明の流れの中で派生してくる現象なんだし。
(経済って視点で言えば負債や過剰在庫があるからといっていきなり病気だ破綻だという事にはならない。←程度問題でもあるけども当事者である法人にとってそれが個別にどういう事になってんのかだとか、その時の市場との関係がどうなっているのとか複合的な話だから。)
経済がそうであるようにミクロの問題を個別具体的に考える場合(商店街アナリストみたいな立場で)、背景となる業界団体なり商圏なり商店街なり国の経済などの背景とリンクせずに個別問題を考える事はできないですからね。「外部環境や背景分析としてマクロ」「自我の内面的にミクロ」と双方の視点が必要になってくる。
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■心理学を考える場合困っちゃうのはそこいら辺で、
究極の経済学が無いのと同じで、何々派的に割れても仕方が無い学問でもある。
言うならばフロイドは、投資とか消費とか生産の基本的なフレームを発見したと考える方が無難な線かな。
なんだけれど、心理学の周辺に必要なナントカってさ特別な呼称も無いしさ、説明するのも難しんだよね。どうしたって微妙に別分野の学問に触れる事にもなるから。
事実『岸田共同幻想論』から『単独者の台頭』に至るってところも「何々分析」とか特別な呼称が無いんだよね。
「多かれ少なかれメンタル問題は誰にでもある」
逆説的に言えば
「どこからどこを問題なのかそれを切り分ける事はできない」、心理学的側面ってのは世界のどこにでもあてはまるのだから。
故に問題意識ってのは(それが心理問題だと理解できず周辺問題として認識されてもいいのだけれど)当事者発でなければ心理学関与の理由を担保できないし、
そこんところが「心理学の原則として結果論には意味は無い」って話に繋がるんだな。
第三者中立性としてジャーナリズムに似たその立ち位置からして、学問として表舞台に出て主体的役割みたいな事になるのは適当じゃないと言えるんじゃないのか?
(※経済学も同様に、裏方学問としてはとても威力を発揮もするけれど、『資本論』が共産主義思想の原典になっちゃうような表舞台に出てしまうと、もう学問としてダメなんだわね。)
いつの時代にも普遍的に通用するのはフロイド先生の発見した原則論のとこだけなんだよね。
(そっから先は「その時代その時代の当事者が心理学を使える状態に整理しとけ」みたいな。)
そんだけフロイドは偉大だとも言えるけど、
まーね、めんどくさい学問でもあると思うよ。
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