(某国の批判は見当違いな話でありまして)
徴兵制も無い日本どこが右傾化してんのかさっぱりわかりません。
自衛隊予算だって、安倍政権でほんのちょびっと増額されたとはいえそれまで削減削減だったので一般的水準にもまだ戻っていないぐらいの話ですよ。
■そこで、本質的な意味での保守化傾向(右巻きバネとでもいうか)そこいら辺を考えてみましょう。WWU前後に見られた話を見ていけば実に簡単な話で、
「経済破綻など国民の不満が半端無い状態」且つ「国家財政的にもデフォルト上等で大規模公共投資などに踏み切りたい雰囲気アリアリ(大規模軍事予算もそのひとつ)」、こんな時に救国内閣的にこういう話が頭角します。
社会心理的には「保守化傾向=自己保存欲求」ですので、破綻したなにがしかを回復するための退行化が保守化に相当します。
世の中が経済破綻などで更に荒廃してとかあれば、道徳バネも聞いて(社会依存心理とでも言うべき)伝統宗教であるとか、独裁政治であるとかも付随して台頭する場合もあります。
(ですから現在の日本と全然違う水準の話←現在日本で進行中なのはマスメディア含めた左巻き史観みたいなプロパガンダ的なナントカが絶賛崩壊中なだけです。)
ある意味保守化傾向として今現在最も危険なのは「欧州と中韓」って事になります。
(米国は腐ってもなんとかで景気回復傾向だという話ですから。)
■この話はそのまんま個人心理学の場合にも相当する話で
不平不満の充満した現状がある場合、昔のナントカだとか往年のナントカ頼み的に古い自我ロジックが呼び出され(いい風に見れば若返りとも言えるけど実際のところは”幼児化”)、強い権威に引っ張ってもらいたい的な依存傾向を併発させるって事でもある。
(或いは権威性認知を前提とする不平不満の暴発)
↑
ここの本来機能は「調子に乗って左ハンドル車を購入したけど、いやー失敗でしたわ、やっぱ車は右ハンドルだね」程度のものでありまして、
これが大規模化すると(失敗感の水準に比例して劇症化)心理的問題といえるような水準の話になるって事です。
注意深く見ていただけるとわかると思うんですが、上記の本来機能の場合でも「やっぱり右ハンドルだね」とあたかも見直された過去が道徳的に正しい的な認知がくっついてきて(退行には権威性認知との関係が必要なため)、余計な尾ひれが付いたりする事あるので(=自動的に左ハンドル車愛好家を非難する結果になる事に本人自覚が無いまま認識が先行する)、本来機能の場合でも第三者思考のルートを残さないと「左ハンドルを試した行為の教訓資産の所有権」を喪失してしまいます。
「ダメだった、悪いんだ」みたいな判断にはなんら教訓性が無く(情緒性は強いから本人はそっちのが満足しちゃうこと多数なんですが)、折角獲得した経験値を放棄しちゃう場合もあります。
■どういう意味なのかわかりにくい話なので補足しますとですね、
道徳論を世俗的に言えばそれは「いい悪い論」って事であり、自分が神様でもない限り事象の判断をいいだの悪いだのに集約されちゃうためには何らかの権威性認知が必要になります。
(話の正当性を担保するためです)
やれ「誰々もそう言っていた」だとか「あの評論家もどうたら」だとか、代表例は「先生がこう言っていた」なんて奴ですね。こうなるとその判断を決したのは勝手に神棚に挙げられた権威の側にある話になっちゃうので(当事者は無責任ポジション)、物事の認識として「やっぱり○○は権威的に凄い」みたいな事が経験値の主力になってしまいます。
具体的に何がおきてどうだったのか、自分はそこにどういう賭けをして(自己責任担保)その読みはかくかくしかじかって話はどっかにすっとんでしまうんです。
仮に退行的状況が発生してもですね、権威性認知を持ち込まずに「左ハンドルにもいいとこあるんだけど、実際のところかくかくしかじかでアレかもだわ、俺にとってはやっぱ右ハンドルって事になるんだとわかったよ」←こうなれば教訓資産(記憶の著作権)獲得になります。退行化では無く戦術的撤退って水準に留まる。
皮肉な事に退行化の方が本人意識における「処罰感」は大きく(まーね自己嫌悪は自己愛と同じって話に尽きるんだけど)、後者の戦術的撤退か可愛げないんだけど自身含めて冷静に問題を見つめるのは後者であって、自我プロセス的には後者の方がしんどくて前者の方が楽なんですよ、案外ね。
この「処罰感」ってのが一筋縄でいかない話で「自己嫌悪」もそうですが、自己保存欲求で「事の始まりの不平不満に起因するなんとやらまで回復しようと」とういう均衡論みたいなんがあるだと思う、なかなかわかり難い話だけれども、「処罰感や自己嫌悪により自分の選択ミスによる失態部分を一気に名誉回復してしまおうという試み」っつーワケです。
冷静に考えれば不平不満の要因に関わる自分の選択ミスも自己責任を担保していれば、何の事は無い単なる失敗なのだから「アチャ〜」だけでいんだけれど、その選択からして自己責任担保が無く権威的である場合(やれ誰がこう言ったからだとか新聞に書いてあったなど)、失敗経験における教訓資産の所有権が半端なままなんだわね(自覚に乏しいとも言うけど)、そうなると騙された感って言うかな「失敗したのは自分では無く、自分は被害者である」みたいな話に転じ〜の、そんな自分への自己憐憫感を盛り上げるための処罰感であり自己嫌悪とかになるんだわ、
つまりその差異はしょっぱなの動機形成における自己責任担保か権威依存かの違いに応じているとも言える。
そこで話を国家レベルの社会心理に戻しますと、
■情緒的に政策論にやたら「いい悪い論」持ちこんでいると怪しいって話ですわね、
目くじら立てて失敗した政策を悪政的に興奮して追求しても何も変化しませんから、
失敗を冷静に分析できないと次の対策打てないんだから。
(アベノミクスにしても、これ安倍首相は半ば引退状態の時に冷静に「経済政策が弱かった」と反省して勉強会など開いて経済勉強したって話ですから。)
これがマジ右傾化とかに話が及ぶと情緒的に「いい悪い論も絶好調に」となります。
ある意味ね、現在の日本のマスメディアの論調こそが「いい悪い論」ですよ。冷戦時代じゃあるまいし左翼いい者論的に中韓を善的存在に持ちあげちゃう論理には到底付き合い切れません。
(左翼の右傾化の片棒担ぎってややこしい話になるんかなこれ)
俺は安倍政権絶賛支持じゃないけどもさ、現状の日本を右傾化とか言われちゃうのは洒落にならんわ。
話を保守化傾向・退行化の原則論に戻すと、
心理学における「結果論には意味が無い」ってところに尽きるんだわ。
結果論をゴチャゴチャと情緒的に引っ張るとどうしたって権威性認知のいい悪い論となり、本人が結果論に拘るものだから(この段階でトラウマ的ノスタルジー現象じゃん)、情緒的な回復にまで話が及び権威依存性を併発するって事。
結果は結果としてそのまんま「で、(どうでもいいことだけど)結果はどうだったの」だけであれば、退行化という心理的問題に及ぶことは無い。
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