重要なのは上記にあるような言葉の使い方的なんとやらでは無くって、この動機形成なる行為が専ら『自意識マター』であるって部分だろう。
そんなことから何をどう認識するだとか何をどう考えるのかか自我であり本人みたに語られる場合もあるのだけれど、勿論現象としてはだね(心理的な強迫問題に関わらず)「やむにやまれず」だとか「無理を承知で」だとかまーままならない場面はあるのであって(ここ自分バレが甚だしくその点公開するになんら抵抗なければ強迫的とは言わない)、何も動機形成の内容そのものを自分の本質と捉えるのは乱暴すぎるというかピント外れになる。
心理学的に重要なのは「その実行行為において主体が『自意識』であること」に尽きる。
何もめんどくさい話ではまったく無くて、
「全く思いつきもしない行為を行動することは不可能」ですから(笑
そら「今の行為は衝動的なもので思いついたことさえないのです」なる現象もあり得るワケだが、それは『動機形成』とは言わないからね(衝動的なんたらは反射に属するから「そのまんまパッシブ系『被(こうむる)系』だから」)。そこんとこ誤解の無いように、
「○○○において○○するかと行動企画した」←これが『動機形成』ね、
勿論屁理屈上手な人なら、相当予定外想定外思惑外の行為も企画できてしまうので(器用貧乏っぽくも見えるが)、バリエーションが多いからエライとかも関係無い。
■しつこいけれど重要なのは「動機形成が現象として『自意識マター』であること」っス、
鬱であるとか引き籠り状況などにおける「思考停止」ってのは、その部分を切り抜いて見た場合の表現で、引いて見れば『自意識マター』がシステムダウンしているので『動機形成』業務が不全だって状態。
更に言えば、あらゆる行為においてどの動機形成において『自意識マター』を完全に抑圧してしまうことは難しいので(さっきの反射とかってのも短時間だから可能だとも言える←『自意識』が狼狽してチョイダウンしている隙になど)、人の行為は全般として「はなから自意識共犯的である」と考えた方がわかりいいのかもしれない。
(何の干渉も無く自分の思うままにとかが保証されてんのは「風呂とトイレの中だけ」だったりのするのは、社会的にも仮に単独者論であっても背景事実に存在する典型例なのは事実。)
つまり「風呂とトイレの中以外」で「共犯的でない自意識マターを起動する」のがある種『力技』なのは事実だろう。
『力技』と表現しましたが厳密に言えば『技』ね、『○技』の種類だけ方法論はあるのだろうけれど、別に「技論」しようって話じゃないので、
(中には『得意技』な人もいるかもしれないし『必殺技』な人もいるかもだし『掛け逃げ技』な人もいるかもだし『職人技』な『共同幻想』な人もいるでしょう。)
ここんところの「技(が必要な感じがする難易度)感」、
=日常性『抗(あらがう)』、
実存主義における反抗(抵抗感のあるものに手向かいする)、
↑
これさ見ようによっちゃ「違和感」でもあるわな。
そりゃそうなんだわ、
この世というあリアル界における自分の自市域の存在なんてものは「大変異質なもの」だから個性としてあり得るのでありまして、「違和感」なかったら「過剰予定調和の病的『共同幻想』ロボ」とかになってしまいます。
単独者だろうと共同幻想だろうと(スケールの違いこそあれ)、この「違和感」はつきものです。
■それでもイマイチ話の流れがピンとこない人へ、
話を簡略化するとだね、
「風呂の中で○○って○○じゃねーかよ」と言う場合と、
「会社の会議中に発言求めて○○じゃねーか」と言う場合の抵抗感ってかさ違和感で想像してよ。
前者が空っぽだとかでは無いよ(だから昭和のオヤジはまだ世の中にカラオケなんかなかった時代に風呂入ったら歌うたってストレス解消だとかもあったんで)、前者はチョコレートのようの刹那に消えるってだけ。
ここんところを実存主義哲学はだね「ははーなるほど、抵抗感デカイ方がいいってことじゃん。更に無意味に抵抗感とか不条理なぐらいにあるともっと盛り上がる」と考えるのだが、短絡的にも見えるけれどシンプルで豪快な発想に違いは無く、「ごもっとも」などと思ったりもする。
(なんつーか『単独者自己紹介効果』をお手軽に実現する場合「周囲が違和感感じるほどキテレツな洋服センスに切り替える」なんて方法論に有効性あるのは←一種の代償満足的振る舞いだけれども着想上の構造は同じね。)
なかなかこれはやっかいな事でしてね(笑
世界の平和やら調和を重んじれば世界の人は全員「自分などいなければよいのではないか」と考える事も可能なんですよ。←それほど難しい発想では無い(小学生の言語能力でも発想可能だと思います)。なんせ俯瞰で見れば「違和感」に違わない。
ところがww
上記は説明するまでもなく錯覚であり(現象としては同様に自我を持つ種全体を殺戮殲滅するべきだと至らないと論理性が破綻する)、観察能力的に「自分が存在する違和感だけは”環境画像(デスクトップの背景画像)”的に錯覚できない」だけの話でありまして、
▲前述の話も、風呂の中だけで「自分などいなければよいのではないか」と言うのは全く抵抗なく可能なのですが(←ここ引き籠り環境の特性被ってます)、
勘のいい人のいる前で上記の台詞を言えば、
(そういう意味ならさ)「俺も死ねってか(笑、オイオイ冗談じゃネーぞこら、」になってしまう。
えーっと「違和感(←多分内向性認知なんでしょう)が抵抗感(←多分現実認知なんでしょう)」に(同じ事象なんだが)バックグラウンドが変わると認識変質が起きるって現象スか。
いやね、この話もぐる―っと回っていまして、
「違和感」の発端はリアル世界における自我なりの客観的観察で認知されるのだから(仮に生まれてこのかた自分以外の人類を見たことがない世界でひとりの人類であればそう思わないかもしれないつーか内向性の概念が「自分=世界」なので神の意志同等とかなんとやらで次元が変わってしまう)、発端は客観的事実認知なんだわね、
ところがこれを脳内処理して述懐する時に(他人の違和感をテレパシーみたいに感じることは無いので)「俺の違和感」みたいな錯覚が起きて→「自分などいなければよいのではないか」というような倒錯した台詞になるんですよ。
クイズみたいなもので、
実は前述の「自分などいなければよいのではないか」つーのはパラドックスになっており、
「自分などいなけれればよいのではないかと考えている”自分”」←つまりこれじゃ言語的に非成立なんですわ(なんてーかな「必ずエラー吐いてループするIF分構造」みたいな事)。
前述の考えには「いるほうがいい、いないほうがいいと認知する”○○”」つー権威認知が(空想上の上位階層認知の”誰か”)ないと文章の意味を成さないんですよ。
わかりやすく言えば「そんな日本語は無い」。
仮に意味が成立するように言い直せば「風呂の中で人類など滅びればいい」と語り友人には「まずお前死ね」とむき出しの殺意を持つみたいなね(笑
(上記は物理的な”抵抗感”に変質しますわね、唐突に死ねとかね(笑、一発ぶん殴り返されるのが落ちです。)
違和感って言葉がいかんかな「ユニーク」にしてみましょうか。
たとえばですよ、
買い物にいって「うーんどれもこれもなんというか」のように完璧な予定調和だと買い物は「つまらない」のですよ。
「なにこれ」だとか「アーッ」とかですね”異なる”ものがあって「おーっ」となるので、
そこを俯瞰で見て「買い物における平和主義者」が「目立った商材を片っ端から片づけ出した」とか考えるとですと、行為のニュアンスは理解可能でも「あんた何してんの」でしか無いワケですよ。
(保守派が時々所謂リベラル系左派のご都合主義的平和主義や人権主義に辟易とするのは上記パターンなんかなと思います。保守派的には「争いあってこその○○」とかのが理解しやすいでしょうし。)
■更に根源的価値論をやればナンセンスに行きあたる話も同列だろうと、
(価値論やれば根源が『希少性』つーのは誰でもわかるが、誰にも発見されない究極の希少性は潜在性はあんのかもしれないが、無価値である。)
現象として価値論始めるのは(根本がナンセンスなんだから)ナンセンスなんだわね。
「なので「違う」というこの一点に○○がある。」←こう認識しないと筋が通らない。
曰く→話の始まりはそもそも『動機形成』つーのは『自意識マター』である。
となるため→「表面的に何がわかりやすく違うとかそういう意味では無く、根源的な違和感のように、自らの実存から誰も逃れる事はできない」←「そりゃそうだ生きていんだから、馬鹿かお前(笑、てか現実から逃れられるってものなら異世界人の存在認めるわ」。
↑
こういう一種禅問答みたいな構造になってんいるんでございます。
ぶっちゃけ「オエって不快になるぐらい違っちゃっているのである」←カウンター過剰表現で言えばね。
そこで、
そんなバックグラウンドを踏まえまして、
「さーて、○○だって?そうだな〜どうすっかな〜」なるですね、動機形成の醍醐味シーンというかですね「その時歴史は」のような局面でですな、
「我思う故に我あり(Cogito ergo sumっつわれても何のこちやら)」が行列を成してならんでいる。
そこに『一期一会』の千利休がだ、誰の目にも「昨日とまったく一分の違いさえ無い作法で」全くこの場限りの異なるナントカをなんとかした。
そもそも(オエってなるぐらい違いが鮮明なのに)ワザワザ奇をてらうようななんとかはナントカなのである(決して同じであってもいいという意味では無い)。
殊更何かユニークな事だとか全く関係無いのであります(価値論はとどのつまりナンセンスだから)。もうね出ちゃっているのであって(←衣類で隠しているとは言え自分には自分の性器の存在を隠せないように)、
心理的問題があるのだとしたら、
それは(物理現象なりは全く関係無いのでありまして)、
その『動機形成』の局面が「なんか口にはできない事情なり、知らない間になり、ワケのわからない混乱のなかでなど”イロイロ”諸般のナントカで強迫的に偏向していないか」に尽きるんであります。
重要なとことしてですね、
『動機形成』を語る上で(技の自慢話をしたいなら別ですが)、結果その事象がどうであったのかには全く意味が無い(関係が無い)のですよ。
(それはスポーツ界にメンタルトレーナーがいるようにメンタル変われば結果も変わるんだが、それを利益的に織り込むのは動機形成論とは筋が違うってもので←これは心構えとして別腹の話。)
千利休のお点前なんかその何倍も昨日と違いが無いんだから、そこんとこ云々するなんとやらも無しに結果の違いがなけりゃ意味が無いみたいな拘りがあるのだとしたら「それこそバリバリの強迫心理なのである」つー話です。
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