2013年03月10日

久しぶりに見たブルースクリーンに思う自我構造

前から整理しないといかんと放り出していた古いマシン(メインをwin8にしたので逆にレガシーな機種にも別の意味で利用価値がある)、これを又完徹でセットアップしたのだが久しぶりにお目にかかりました『ブルースクリーン』。
新しいOSは何かと使えないソフトが必ず発生するので評判は決して良くないものだが、思い出せばwinXPといえば構成が熟成されるまでの間はドライバ関係などでブルースクリーンってのはしょっちゅうで「バックアップリカバリ系のソフト導入が無いと怖い」って事を思い出した次第です。
導入ソフトが安定してしまえば「ブルースクリーンなんてあったっけ」と安定するのですが、そこに至るまでが大変で(勿論プリインストールそのままでいいなら別ですが)結構苦労するOSだったのを忘れてました。
ビルゲイツが「いろいろある話は知っているがOSは新しいのがいいよん」と言う背景にはそこいらへんの不都合発生可能性を次のOS開発に反映させている積み上げ根拠があるのだろう。
確かにwin8は非サポート機種なんぞに入れれば何かと不都合やら誤動作もあるんだが、ブルースクリーンなんてあるの?ってぐらい安定性という部分で進化しておるのだと思う。

OSの構造は同じく人の考えるロジカルなシステムである自我構造(特に後天的な自意識系領域)と相似なので、この辺は心理学的部分にも参考になる。
「似たような概念の競合」「作業中のなんとかの予定外の強制終了」「バックグラウンドでの動作必須のナントカが起動しているか」「導入されたナントカが多ければ多いほど保守アップデートまで膨大になる」「処理速度に限界がある場合そもそもそんな硬性のOSは入らない(強固な構造の背景には無数のプロセスが走ってるんでしょう)」「逆に言えば処理速度に余裕があるOSはシンプル故に意外なところで破綻もする」

人間の脳の処理能力は元からが歩留り的で(オカルト映画ネタの伝統芸が”脳のパフォーマンスを限界まで使ったら話”だったりするように)、処理限界云々で線を引くのは意味が無いのだが(元々のパフォーマンスはスパコン並なので)、「人(自我)が運用するとこ」が非常にアバウトなもんだから(てかその機能メインでは無いし)GUIを使って目に見えるところで自立的自覚的に動作させる部分(自我で言うなら自意識)ここの構成決めているのはやっぱロジカルであり、
『反抗期』=『SPバージョンアップ』とかバッサリやる時も必要だろうな部分もOS基準に考えるとわかりやすい。
※そして人の自我はクリーンインストールできないシステムである事も重要でしょうな。

メンタル問題における「思考停止」はマシンで言えば「固まる」ってことだろうし、
マシンにおける「ブルースクリーン」は自我で言えば「破綻や統合失調(或いは鬱発症)」と言えるのかもしれない。
特に”競合”って部分で人の自我は「論理矛盾する概念の競合」のtころはごく普通だったりする非常に複雑怪奇なシステムなので、同問題が頻繁に起こりやすいのも事実。
時々発生する「いろんな人の意見聞いていたらワケわからなくなった」なんてのもこの現象のひとつなんでしょう(導入するにも何も競合関係の裏取りで回線ショートしたみたいな)。

現実には存在しないのだが、モデル分析すると、
●『完璧な共同幻想適合自我』なんてモデルが仮に存在するのだとすればそれは「クリーンインストールで且つ基本プリインストール状態のままで仮にソフト導入する場合有力どころの有料ソフトに限定する右寄り保守構造の自我」となる。
(自由度や汎用性や応用性において構造的な問題が派生することは誰の目にも明らかだ)
▲もっと極端に兵士や軍人の教練における『極端な共同幻想だけモデル』を想定すれば汎用機としての構造は無く産業ロボットの制御回路みたいな単一機能に特化した(加えて間違ってもネットなどに接続しない)システムって事かもしれない(この場合自意識がどうこうだから非人間的云々の情緒的話には意味が無くって、個体の存在意義と機能を一致させる形のアイデンティティー=レーゾンテートル型の猛烈サラリーマン的パフォーマンスに至る可能性を有するのがポイントでしょ)。
●これに対して(極論単独者なんてのはオープンソースのリナックスみたいなものだから)
『後期先進国典型の個性的自我』なんてモデルが仮に存在するだとすればそれは「基本カーネルのインストールはそのままにしろ、機能拡張は全て後天的自立的であり、トラブルもしょっちゅうだがこの対策知見(情報)も多数あるため、時間はかかるが無料ベースのフリーソフト導入などにより無限に拡張する個人主義的リベラル自由主義構造の自我」となる。
(その構造で放っておいても個性化するのが自明な方向であるのは誰の目にも明らかだ)
▲更に極端に単独者的な原型を探せば、人が(偶然の自然環境やら生理的特徴で)集団化しなくても全然アリだったばやいの原資時代の自我(下手すると言語もないロジック)とかになんのかもしれない。(※このへんは仮説上の「森にひとり実存(仙人的)」だとか「アダム的なんとか」になる。)

破綻が起きる背景の『論理構成』だとかポケーっと考えるときにもOSが時々見せる問題やらその対処とかを想定するとわかりやすいかもしらんな。
確かに心理学からは逸脱するんだが、自我を主体として考えるのもやり過ぎじゃないかってーな方向の見方もあるわけで、OSと裏の動きを想定すると尚の事その感あるってか「まーいわんとしていることもわかるわ」と思わざるを得ない部分もある。
言っても心理学は自我に対して云々って学問なので、余計なお世話ってかそっから先は哲学な人やらがやってくれって事なんだけどね。


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posted by kagewari at 21:47 | Comment(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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