個人主義はよく西洋のスタイルになぞらえられますが、背景には彼等にとっての普通世界である「一神教的スタンス」があります。「正しさらしさを背景にした個」です、どうしても「自分は正しい」てな雰囲気が流れるので、一件強面に見えてしまいます。
しかし、考えてみれば、一般的な個人は「神学者でも、道徳の先生でもありません」から、意見は「こう思うんだけど」という線になるのが妥当で、やたらと考えて始めて「こう論証できるじゃないかな」ぐらいが関の山です。これ「正しい」とは違います。
意義についてもそうです。映画「12人の怒れる男」にあるように「変じゃない」という意義は、そこまででよく「別の意見を出す必要はありません」。「変じゃない?」だけでいいのです。
個人であるって事の、イメージにはそんな「個としての発言」が重要になります。
簡単に言えば「じゃねーの」「そうかな〜」「そりゃそうだ」に関わる言葉の流れがある事で、
その反対は「これで正しいのか」という言葉の流れです。
「これで正しいのか」に答えられる人は、そういません。
せいぜいその道の専門家に具体的な質問をした時に限られるでしょう。
ある意味、「何処の誰にその正しさの認証を求めるのか?」について曖昧だと「これで正しいのか」が暴走します。(既に「それを決めるのは自分では無い」と名言してるのとイコールだからです)
そんなこんなですが、プロ野球の1リーグ問題以来、随分と個としての発言が多く見られます、個の時代の台頭を感じますね、俺。
取り立てて建設的では無いかも知れないけれど、個である事は自身の尊厳への基本ですから、『いんじゃねーの』と思いますね。
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