(ある意味難しいことだという前提で考えてもらわないと意味読み違えると思う)
所謂『心理学』においても「言語的な問題」が随分軽んじられていると思う。
(かえってこの辺って哲学関係のが得意分野なのかしらんが)
『共同幻想』から学べるひとつの教訓に「言葉を大事にする」ってのがある。
共同幻想における口語としても、
「言葉使いに注意しなさい」として有効。
そりゃ『共同幻想』にしてみれば「ひとつの概念による心理的結界」のような世界を自我に認知させ続ける所作において「ここには注意しようね」なポイントを経験的に取得しているのであって(概念は権威主義でありながら肝心の権威代表みたいな当事者が存在しない幻想でありながらも)、ここ「よっぽど重要」という事です。
心理学的にも殊更言語学的方向性を無視しているワケでは無いのであって、
(学問として殊更云々していなにしろ)
家族の属性名称の年齢に応じた変遷やら、そもそも属性名称をどういう呼称で呼ぶのかだとか、全員が互いに”さん付け”で呼び合う上流階級風の慣習の狙いは何かだとか関わりそのものは深い。
といってもだ、
「自分で日常頻繁に用いるキャッチコピー(抽象概念)や”言い回し”が無意識にレトリックを起動させる(或いは特有の語彙がある”単語選択”の無意識な志向)」などのベタな言葉の運用が想像上に自我を無意識に特定方向に誘導する機能は心理学としてはどえらく重用な事であって、
なんというか文化人類学的にだね「鬱な人が使う単語の統計」であるとか、こういう分析は地味だが相当の有用性を発揮するんじゃないかと思っている。
陰陽師の話じゃないが(歴史的真実とは別ね通俗的に語られる過剰演出も込みの陰陽師)「言葉は(言霊にたとえられるように)言葉そのものが呪(しゅ)であり云々」この逸話というか構造はたいした話でありまして、
(そういう意味で考えれば”呪術”の意図も→呪術で鬱病へ的にあり得なくも無い。効果的なキーワードがあたかも自己暗示のトリガーとなるフラグとして機能し得るって何です。←ドラマや映画やアニメの脚本で言うところの「あの台詞が、あの時の一言が」的なね。)
それこそ、
「その言葉を使うから」だとか、
「そういう言い方したらおしまいでしょ」だとか、
「んな事を言うから」であるとか、
「どこからそういう話が出てくるの」みたいな。
こういう言語的なというか困った状況(場合によると言語によるコミュニケーションすらおぼつかなくなる)、ここは誰しも”アルアル”的にピンとくるんだと思います。
今回話にとりあげようってのは、
「あ、そうですか」の「あ、」って何?だとか、
「でも、○○なんです」的に日常会話における前頭語っていうの?ほとんどの日常会話で話を切りだす時にあたかも季語みたいにだいつも「でも、」から始まっているみたいな(気にするまで全く自覚が無い)、何の脈絡も無いのに話を始める時「でも、」から始まるというような”形”だよね、ここには相当思う以上の意味(それこそ呪が)関わっていたり、
或いは狙った意図として(自分の自我キャラの設定的にアリかなと)それが知らず知らずに選ばれていたり、
実際小説なんかの登場人物の『枷』設定する時に、誰の台詞かわかりやすいように特定キャラが特定の言い回し(自分だけの方言)を用いる事もある。
そしてそのままだけど前述の流れから言えば「地域的共同幻想と方言の関係」とかだね(=都会に出る事も意味も込みで)、枚挙にいとまがない”何”が関係しているのは間違い無い。
手法として「ニワトリか卵か」じゃないけれども、
精神分析などで強迫心理が落ちると、人が変わったような(本人自身は変わっちゃいなんだけどさ)というように表現される差異というか第三者が感じる印象などというのは多分に「言葉使いや使用される単語や口語の調子や言い回し」などの変化なんてものから感じ取られてもいるのであってだよ、
(事実多重人格みたいな”何”は多分にこのトリックというかレトリックというか自己演技性というかみたいな構図にあると想像されるのであり)
言葉ってものの使い方を変える事で強迫心理をバラすって事も可能性としてはあり得る。
<あんまり細かい話になるとアレなので水準下げる←俺もわからなくなりそうなので>
わかりやすくいえば「一言のキーワードなり」で”強迫心理の一発潰し”効果を狙うとかね。
(あくまでも暫定的であったり”言って先んじる”効果で根本的な解決は又別のところにあるんだが、まー難しい話は又今度ってことで)
例えばだ、
「ちょっと待てよ」だとか、
「と言ってもだ」とか、
「なんだけども実際のところ」のような、
何を話す時にも全ての口語調の語りなり思考なりの最初に脈絡もなく、意味不明でもこの言葉を言ってから始めるとかね。
いきなり、
「と言ってもだ」から語り始めるなり思考を始めるって事さ。
(何を言ったかとかどうでもいい)
とにかく自分の話す言葉の始まりを「と言ってもだ」を掛ける。
一種の韻を踏むやり方なんだが、
なんつーかどんだけ強迫的潜在意識が慢性的に胎動していても、自意識マター起動時にこれを(無意識ではなく)意識に持ち上げて(なんだかわからなくても)、
「と言ってもだ」という呪文によって切る。
なんかね一部にはこれ随分バカバカしい話に思われるかもだが、
案外真剣にこの辺の部分考えているんだよ、実は。
心理学的にもこれ相当研究の余地あるのじゃなかろうかとね。
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