ちなみに日本の現在といえば:非婚晩婚・ニート・職場限定鬱・会食飲酒率の後退・恋愛そのものへの忌避(特に男性)・読売巨人軍の凋落・大歌手白物家電など大流行の消失・一国一城の主戸建幻想の消失などなど。
国際的に言えば、
キリスト教保守圏などでジョークのネタにもなっている「北欧」が今世紀以前から前衛的だったワケだが(理由は簡単で都市国家スケールだったので国家として後期先進国化到達が早かったため)、当時から政治論的に『高福祉・単独者化』の方向性があったため、単独者の権利への意識は強く「尊厳死」の論議も古い。
世帯の所得に関係無く高校生レベルで一人暮らしの補助金が出たり(親世帯の所得に拘束されることは単独者への権利侵害となるため)、所得税より消費税へ先鞭をつけたのも「家族社会を想起させる世帯での管理」という概念が薄いからとも言えるかもしれない。
(現在は財政破たんで年金支給を75歳へなど制度的限界に達しているのだが)
学校教育における少人数クラスも欧州は取り組み早かったし、
専らこの辺は「現代の文明化共同幻想の基礎」が欧州『フランス革命』に在る事が大きいのだと思う。
現在のTOKYOの前はNYでありその前がパリでありその前がウィーンであった、みたいな形で当時における突出した都市文明というものがあるんだが(勿論大都会=単独者的実験の場でもある)、フランスは『フランス革命』やってながら主だった宗教がキリスト教のままというかなり複雑というか矛盾込みの社会であって(米国独立宣言も共産主義もフランス革命を母体として生まれたとも言える)、興味深い。
フランスに関しては「現代社会におけるイスラム原理主義革命」との対比で考えるとわかりやすいかもしれない。
(欧州における反動的保守主義は微妙に環境保護運動過激派に姿を変えていると俺は見ているんだけども)
■欧州にとって民主化や文明化は明らかに「政治宗教としてのキリスト教権威に対する闘争」に他ならない。所謂フランス革命における「自由・平等・友愛」だとかの概念は宗教教義に対抗するために登場してくるのであって(民主的科学的ナンタラみたいに)、
事実フランス革命当時はキリスト教への断絶すら模索されている(『最高存在の祭典』)。
■米国のアメリカンドリームも「宗教革命により生み出された文明的解釈された福音」のようなものなワケで、ソビエト中心に拡大した同時代の共産主義も「宗教革命により生み出された科学的に解釈された黙示録」みたいなもんだ。
まー言えばどっちもどっちだったワケで、、
■で、現在「本場フランス」ではどんな状況かと言いますと、
サルコジ政権に代わるオランド新大統領はですね「奥さんと事実婚」でして、所謂戸籍上の夫人ではありません。
(ファーストレディ的にどうなんかみたいな論議はあるみたいですが)
オランド新政権の閣僚は「男女比同数」であり、
民主党が子供手当などで参考にしたフランスの少子化政策はですね、出生数における非嫡出子率が50%超えています。
(DATAで見るとやっぱ北欧進んでいるワケですが)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html
簡単に言えば婚姻によらない出産の方が婚姻による出産より多いって事です。
(スウェーデンに至っては婚姻による出産の方が完全に”マイナー”)
もうね、離婚率を論議するような時代では無く「そもそも何故(国家の制度として)結婚(登録)などすんの」な時代なのであり、
再選の見込みが薄くなって突然左翼先祖帰りしたオバマ大統領の”何”
同性婚、米大統領が一転支持 再選にらみ表明 保守層の反発必至
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE3E2E2E28A8DE3E2E2E7E0E2E3E09790E3E2E2E2
これも今時何の話ですかって気もする。
でー本来経済学的に言えばですね、
後期先進国は「労働からの解放」がくっつかないといかんかったんです。
ですがー
ここにも宗教系共同幻想の縛りがありまして、
(米国においても宗教的戒律の宗教革命的翻訳である「アメリカンドリーム」を実現しないと”遊んで暮らすのが筋”みたいなところへのボーダーを超えない)
本来は右翼サイドからもここ批判あってもいい筈だったんですよ、
「我々は先進国化への道のりで戦争の時代にどれだけの屍を超えてきたのか」的な、
先進国の有様が現状みたいであれば戦争の時代に亡くなった人も浮かばれんってものです。
本筋は戦後の経済成長の先に(左翼的な反戦プロパガンダではなくって)「平和と繁栄」を実現する責任みたいなものがあったのであり、
その過程高度経済成長時代には「将来像としてこんな世界があるかも」のようなSFチックな先進国像ってあったと思うんですよ。
「ちゃんとそっちへ行け」とね。
現在はフリーエコノミーは先行してますが、国家としての不労所得世界の実現ってのがサッパリなワケ。
理屈は簡単なんですよ。
現在の中国の発展の原型は勿論日本の経済援助(円借款)なわけですが、
1980年代バブルの時代の米国不動産を買いまくって顰蹙買った時、あの経済行動は実は正しくて、
ちょっと考えてみなさいって話なんですよ。
当時の日本は(円が強いわけだから)バシバシ国債発行して、これで米国の債券なり投資を行ったとします(現在なら円高を背景に中国へ投資)でーこの投資債権の所有権を国民一人あたりに割り当てしていくんですよ。
つまり全国民が資本家となる。
政府は投資銀行よろしくこの債権の運用行い(←それこそこれが金融資本主義だろが)、その利回りを『ベーシックインカム』として所得分配する。
うまいことやれば国民全体に基礎所得の支給と無税国家とかできてたかも知れない。
(この場合消費性向も高いと想定されるので内需も拡大する)
緩く何やってても生存する水準は国民全員に保障されているような大資産国家も可能だったかもしんない。
(対外資産となるので安全保障も別の水準の論議になったでしょうけど、)
↓
近い事は今の経済でも可能です。
国債発行して株買うとかね、
(市場経済とどうやって折り合いつけるのかここは立派な大学の経済学部あたりに考えさせりゃいい)
『公共投資では無くマジ投資』
実際東京都は東電の株とか持っているワケで政策的に不可能では無いでしょう。
(亀井が言っていた郵政の金を守れってのは婉曲的にそういう意味なんであって)
国家そのものに所得がある=これを分配可能って話、
でー国民全体にベーシックインカムとして「今年度は幾ら」みたいに評価できれば、どこかのボーダー超えれば「まーね働いても働かなくてもいんだが」という時代がくる。
↑
ここに呼応してフリーエコノミー経済の実体あるんだから、
無労働社会になったら誰も仕事しないのかって、そんなこたーありません。
「退屈だから」
むしろその方向は利潤追求ではなくって各人趣味性の高い生き方を模索するようになるでしょうし、
「先進国の民度」ってそういう事だろうが。
(本来「働く」って言葉の意味が「給与所得労働」を意味する事自体無理あんだから。←一種の共同幻想なんであって、)
少なくともこの状況だと正規軍の運用だとかを代表とする公務員だとかの職種の維持には一工夫必要かもですが、そこは別途インセンティブを考えればいいことで、
逆に言えば「そうやってこそ国民全体に戦争みたいな馬鹿な事を考える方がどうかしている」という在りうべき民度ってものが普通に定着すんじゃないスか。
(ここが前述の別の水準の安全保障論の台頭など、)
■「東西冷戦の終焉」ここにはもっと深い意味があったんだと思う。
事実上軍隊がドンパチやるなんざ先進国ではもうナンセンスだって戦争の時代の終わりだったのであり、
平和の配当ってのは「リアル資本主義」の始まりであるべきだったのじゃないか。
(それも所謂強欲な資本家みたいなイメージでは無く、広く薄い先進国国民資本家による第三世界への投資という流れで、結局誰にも止められない文明化の流れを確信犯的に汲むもので、)
現在の「あられも無い方向いっちゃった米国の金融経済学」ってのも全部が全部間違いではなくって、
本来は国民所得であるべきマネーがどういうわけかウォール街の資金になり、彼らが人の金で好き放題やったみたいなんが事の顛末だって事でしょう。
(後追いで軍隊も必要になるみたいな)
後手後手ってか、これは民主主義(国民主権)が正常に機能していなかったところが問題の始まりで、どこやらの国の平和が明解に「明日の自分の懐具合に直結するような関心」って言いますか→世界が平和だと生活も豊かになる的直結性みたいなんが本来可能だったのじゃないかと思うワケです。
あのねー日本のバブルの時代にねー世界も驚く新しい進歩的経済学政策を立案できていればどんだけ違っていただろうと。
(そういう巨大な資本力を持った状況に先進国がなったケースのパイオニアだったんだから)
随分適当につらつら書いているだけなので、
論理の詰めは目茶目茶なワケだが、『共同幻想の壊れ方としての現状』考えるに「本来どうなっていれば今の状況を説明しやすいか」って部分あると思うね。
(あるべき姿になってないからおかしな矛盾も出てくるんで、)
本来どうなっているべきみたいな想定無いとさ、心理学的判断間違う場合もあると思うよ。
(仕事の時だけ鬱になるとかの状態をナンチャラ鬱みたいに捉えている向きあるようだが、この辺の見方も完全に間違えているかもしれんぜ。←俺は「それ病気なの?」とか思ってます。)
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1)骨折を病気とは呼びませんよね。
2)漢字そのままの読みで言えば病気とは「気の病んだ状態」ですよね。
3)社会的というか「病欠」などの言葉があったり「労災認定」などの場面で使用される病気という言葉の趣旨は「通院の必要な疾病」などのような意味です(=診断書が貰える)。言うならば認定される病気。
4)病院で或いは裁判ではたまた労災で認定される証明可能な疾病などもありますが、例えばアレルギーは場合によっては死に繋がる事もありますが病気とは呼びませんよね。
5)糖尿病などもそうですが、それは一種の機能障害としての典型的な症例認定であって(その症候群の呼称のような)、糖尿病という”病気”が存在するのではありません。←これは病院などがその症例を分類し診療方針などを認定する時のための「臨床など分類上の症例の呼称」です。
つまり日本語で「病気」って言葉の意味をしっかえい考えたりわかって使っている人はそれほど多数いるわけではありません(案外なんとなくこの言葉を使ってしまっている)。
(「心不全」が病気の呼称では無い事を知らない人が多数です。風邪という病気もありません。←そう呼称分類されている症状なり”結果上の分類呼称”が存在するんです。)
■そして
自然界の動物をいきなり捕まえて小さな檻に閉じ込めると、非常に多数の個体が「ストレスで死にます」
↑
この現象を「病気」と呼びませんよね?
(仮に対象が人間なら監禁なんとか症とかの死因分析出るかもしれませんが、強度ストレスによる殺人になりますよね?)
仮に先進国化に呼応して自我なりの構造が変遷しており、「動機の説明が難しい特定環境に拘束される状態」これが特定の条件によって、大変大きなストレスになる場合、これを強要した結果(場合によっては死ぬかもしれない)健康を損なった場合、これは限りなく傷害に近い行為になります。
■私は先進国化の先に生きる人類が説明のつかない『共同幻想』なりを根拠に「あたかも人は社会的に認定されている(雇用契約のある)仕事をしていなければ社会適応とは言えない」などと考え、当事者に甚大なストレスを発生させた場合、
(症例上の故障云々では無く)
「犯罪ではないか」←こういう見方もあると言っているんです。
(法的解釈で言えば「憲法違反じゃないか」的意味で)
ここで「それはなんとか病だ」などのあたかも犯罪者かもしれない社会なり『共同幻想』なりに結果「都合のいい免罪符」を与えるような発想は、
▲たとえばですが
(ちょっと過激な表現になりますが)
どこかのインチキ宗教が、相談にきた人なりに「あなたには”悪霊”がついている」的な調子のいい話を切り出しているのと同じような事では無いのかと言っているんです。
(文法的にというか言語学的に言葉の使い方というかニュアンスが社会一般で同じような事になっていないかと←少なくとも医師なりはそういう意味では用いていないのですが。)
■少なくとも社会学的・或いは社会心理的側面を加味した個人心理学の中でその原因なり背景を説明できないようでは、「単なる呼称分類」があたかも現実に存在するような「心理的錯覚」を冗長する可能性もあるって事です。
(結果時代の中で変遷なり解体が必要な『共同幻想』なりの都合のいい延命に逆利用される場合もある。)
■風邪と呼ばれる症例や呼称はあり、病院では立派に病気として診断もされますが→この世に「風邪」という個別的な”病気”が(鉱物のダイヤモンドのように)存在するのでは無い。あたかもそういう「病気」が個別に存在し、医師なりが悪魔祓いでもするようにその”病気”なる個別具体的なものを切り話したりそこだけ殺せば”治る”という認識は「一種の空想的認識に過ぎない」という事。:実際に起きている事は、風邪と呼ばれる症候群に対して対処療法(不快を抑える)を行い、この間人体の自己治癒なりの物質が発現し免疫系なりがその発生原因に対処しているのであって、医師が「個別に存在する風邪なる病気」を取り除いているのでも殺しているのでも無い。
■たとえば
職場で起きる昨今雑誌などがどこから出てきたのから呼び出している「プチ鬱」なるものや言葉の使い方には、社会を含めたバックグラウンドと無関係にそんな名前の病原菌があたかも介在するように考えてしまいがちな危険があり(言葉の用法としてはインチキ宗教の「悪霊」と同じ文法構造)、
本来は『ブラック企業問題』などの社会的認知の変遷などとこれを関連付け説明できないと嘘じゃないのかって事です。
■ザックリ言えば先進国化の先の社会における自我は、自主的にこれを合理的説明のできない動機で、あたかも『共同幻想』を鵜呑みにするように、自己に社会適応はあたかも常識てきあるかのように強要なり強迫する事は「強迫心理的現象そのものだ」と言い替えてもいいという意味です。
更に言えば「社会が精神病を生産しているのではないか」のような極端な表現使った方がわかりやすいでしょうか。
立て続けに同じコメント失礼しました。お手数かけて申し訳ありませんが、削除お願いします。
仕事鬱の説明ありがとうございます。
社会が精神病を生産している、何となくわかります。私も現在は週3しか働いてません。しかし仕事以外では元気なために周囲への説明に困ります。
共同幻想適応者からは気の問題だとか仕事が精神的にしんどいのは皆一緒だと言われます。まして生活保護を受けてるので反感は大きいです。
就労の支援者からも同じことを言われます。 支援者の中には病気の後遺症で左半身が動きにくいながらも自力で頑張ってる方もいるからなおさらですよね。
しかし週3でも働いた後は精神的にぐったり来て翌日も寝込んでる状態なのに(体は元気ですが、精神的に無理をすれば集中力もなくなるのに)最終的には生活保護を受けずに働くように言われると辛いですね。
働くだけのモチベーションが持てないんだもの。
しかし共同幻想適応者の言い分も理解できます。皆が働かない選択をしても良い世の中になれば不公平感は減って良いんですけどね。
■確かに某エスニックな国に旅行に行き、文化習俗に触れ、当該国の『共同幻想』なるものへの理解も深めた。
↑
だとしても、そこに私が適応強迫を派生させたら「違う話」になってしまいますよね。
これは封建時代直後の女性の権利などの問題にも重なるんです。
そんな女性への抑圧がバリバリの時代には(この『共同幻想』ドグマの浸透も広範で深いものになり)女性差別的環境に対する『ストレス感度』が率として女性各層に広まる事はありません。
↑
時代の変遷などで「ネタバレキラー」が登場し、この『共同幻想』ドグマを一発で論駁し脚光を浴びたとする。
この時代以降の女性の自我は「以前の女性差別的環境に強いストレスを感じる層」が拡大するんですよ。
↑
■この現象を「病気が増えた」とは呼びませんよね。
注:確かにこの「ネタバレキラーの憂鬱」みたいな現象を発端とする社会心理の変遷は「デマゴーグ」や「プロパガンダ」などでも”欺法”的にも使われるため、「そのネタバレは本当?」のリテラシーがセットにならなければいけませんが、
<話を戻します>
つまり
↓
>神的に無理をすれば集中力もなくなるのに)最終的には生活保護を受けずに働くように言われると辛いですね。
>働くだけのモチベーションが持てないんだもの。
しかし共同幻想適応者の言い分も理解できます。皆が働かない選択をしても良い世の中になれば不公平感は減って良いんですけどね。
こういう状況の場合、
その「周囲の人間関係」が(相手にはなんら悪意も含むところも無いのですが)、あなたにとっては「強迫的な行為を迫るゲシュタポ」と相対的には同じ事になるんです。
ですから、
■現実的判断として、
比較的自分の権利なりの安全確保のしやすい「都会などの独り暮らし」のような方向への脱出が適切な対応になります。
(相性的に過緊張を強いないバイトなどのバリエーションも増える)
当該個人の自我それぞれに応じて、現実で起きている事象の”関連性と意味”は(同じ現実を観て体感していても)全く別の話になっているとか「それは普通の事なんです」。
この辺の認識を余裕ある時に冷静に考える事をお勧めしますね。
(実際の話、個別具体論に特別難しい話はどこにもありませんから。)