見方を変えると自意識は、自分の肖像を見つめる客観であり、どこか他人のような存在でもある、実際「俺は何を考えているのか」なんて台詞があるのだから、「自分が何を考えているのかすらわからないのが自意識」って事になる。
そこで
「自分の気持ち」とか、
「自分の考え」とか、
その言葉を語る“私=自意識”は、自分自身の客観的な当事者であると言えて、
「我思う故に我在り」という言葉の真意は、「自分の考えとか、気持ちではなく、現実の私はこう思う」という自意識の独立的思考の事で、だからこそ「ここに我実存セリ」となる。
後者は確信犯的自意識の独立(過去からの)であり、前者は従属的な「自分の代弁者」である。つまりその「自分」が、社会的存在として実存する事(社会の一員としての自覚でもいい)が、自我にとって自然で、何らかの原因で自意識が「独立して考える主体」としての経験が長いとむしろ後者の方が自然になる。
どっちがどっちって事ではない。
政治的に見ると、前者が保守、後者がリベラル(左翼的意味ではなく)になるが、政治の世界でもこの両者のバランスで世界は現実へ適応している。
自意識の当事者としての在り方ってのが、自我の構造としては大きな「成り立ちの違い」で、精神分析的には所謂「性格」なるものは些細なキャラクターに過ぎない。
【心理学テキスト「Why not」の最新記事】
- 「危機を煽ると『共同幻想』が浮上する原則..
- 「危機を煽ると『共同幻想』が浮上する原則..
- 「危機を煽ると『共同幻想』が浮上する原則..
- 思春期モラトリアムとしての”性の嫌悪”と..
- 仮説だが、心理学用語とは思っていない「ア..
- 学校における『共同幻想』”崩れ”の過程を..
- 学校における『共同幻想』”崩れ”の過程を..
- これは仮説「『共同幻想』適応系人格におけ..
- これは仮説「『共同幻想』適応系人格におけ..
- 【”盛られる”欲求】(ちょっとしたまとめ..
- 【”盛られる”欲求】(「反動形成」のよう..
- 「退屈したら死ぬ病」を軽く考えている方へ..
- ミクロ視点とマクロ視点(極端に近視眼的っ..
- 言語だけでなく、概念や認識の構造(数式読..
- DQNとかヤンキーとかの保守的人格につい..
- DQNとかヤンキーとかの保守的人格につい..
- DQNとかヤンキーとかの保守的人格につい..
- 『幻想論』「何故自我には概念(なになにで..
- 『幻想論』「何故自我には概念(なになにで..
- ピーマンと子供(被害妄想なんて妄想は無い..