ネット社会ではこのような見解もある始末で、
池田信夫 - アンサイクロペディア
http://ansaikuropedia.org/wiki/池田信夫
(これはなんといいますか、、おーモ〜なアレというか、、)
池田信夫とは - はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%D3%C5?%AE%C9%D7
政治経済の分野では東京新聞論説委員であるのと同時に記者クラブ問題で有名なフリージャーナリスト上杉氏とも話せる仲だという異能のジャーナリストである長谷川幸洋氏に至っては、このような評価となっておりまして、、
長谷川幸洋氏ツイッター
池田信夫さんという人が私の現代ビジネス記事へのコメントを書いてますが、彼は自分の商売にプラスになりそうな人にかみついて、自分を売り出す「炎上ビジネス」の人なんですねえ。当たり屋みたいな情けないビジネスモデル。私も知らない人じゃないですけど、こういう人には関わらないことにします。http://twitter.com/#!/hasegawa24/status/120129039976497153
(αブロガー的には有名どころの”切り込み隊長ブログ”でもアレレな扱いで記事になったこともあり、)
その中でも(こういう表現が正しいのかわかりませんが)「秀逸な批判記事」はこちら。
(炎上マーケティングにおける本質論を無意識に見抜いているのではなかろうかと)
非常に難解な言語学チョムスキーを巡る論説です、
田中克彦『チョムスキー』に驚く(から”田中克彦の子供達”)
http://www4.synapse.ne.jp/nohoho/tanaka.html#children
(話はそれますがこの論説の論旨がまた難解過ぎてもう私にはついていけないのであります(笑)
以前はブログ炎上を恐れるみたいな話が芸能人ブログなどで散見されましたが(いまだにブログ炎上で謝罪なんてニュースもちらほら目にします)、ネット関係長い事やってきた人にとってコメント欄が荒れるって事は一概にネガティブに思われていなくて「それもリテラシーの一種」だったのです(記載内容がしっかりしてれば荒らし程度のコメントは逆に完璧に論駁できるため批判の耐性というかブログ記載内容の信用性が高まる)。
他ポータル系のニュースでも同様の判断あると思います、
(コメント欄の無いニュースはネット世論に対する”バトルプルーフとしてのリテラシーから逃げている”形になる、)
ブログ関係からマスメディアに対する典型的批判のひとつは、
「是非とも社説にコメント欄解放してくれ(できるもんならやってみろ)」というようなものです。
(※事実マスメディアでは大物どころの評論家筋はネットに記事挙げた後に猛烈に叩かれる経験の後”逃亡”が一般的パターンとなっております、)
αブロガーとして知られていた池田氏がそんな事情を知らない筈ありませんが、特に東北の震災と原発事故以降池田氏は事実上コメント欄の閉鎖に踏み切ってます、
(※ブロガー的にはコメント欄閉鎖は”ブログの死”と言っていい)
つまり彼が「意図的に炎上マーケティング的な記事を挙げているワケでは無い」ことになります。
かなりの部分が”無意識”なのでしょう、
一種の構造論みたいなもので、外野席からそれなりの名のある人物を次から次へと個人名を挙げて批判すれば批判する方の分が悪い事は言うまでもありません。
(批判対象のバックグラウンドを詳しく知る由も無いからです→結果記載内容の一部や言葉じりというかつまみ食い的批判になりがち、)
「自分のエントリーが結果的に批判を含む」事はあり得ますが、その場合の扱いは「のような見方もあるようだが的引用」に留まるため個人批判の形にはならないでしょうしね、
果たしてこれはいかなる心理なのか?
(アクセス的に池田氏級に発信力のある場合”自己顕示的目的”みたいに単純化するのは無理があり過ぎます、)
■そんな心理を探る上で非常に興味深いエントリーを発見しました。
「ちょっとこれはなんだろう」的内容として半端では無いインタビューになってます、
日本の異能 岩崎夏海氏「ベストセラー作家から炎上ブロガーへ。転落+復讐こそ作家の歩むべき道」
http://news.livedoor.com/article/detail/5963787/
:一部引用
「もはやベストセラー作家には競争優位性がなく、人気的な領域から炎上ブログによって転落することにこそ競争優位性があるとわれわれは考えているからです」と岩崎氏はいう。
「情報化社会になって言語化できる情報の共有スピードがものすごく早くなった。残念ながらベストセラー作家も言語化可能な情報。すぐに真似される」と岩崎氏は指摘する。
(中略)
これまで出版業界はベストセラー作家を競争優位性の源泉としてきた。情報化社会になってベストセラー作家が競争優位性につながらないのであれば、何をもって出版社は世界と戦っていけばいいのだろうか。
「大嫌いとか、むかつくとか、アンチ的なもの、恨み的なもの、復讐依存度が高い領域でこそ、勝負すべきだと僕らは考えています」と岩崎氏は主張する。
(中略)
「iPhoneやiPadだって、スティーブ・ジョブズのアンチの影響もあって世界で人気があるんだと思いますよ」と岩崎氏は言う。転落した、あいつはもうダメだ、といった転落的なもの、それを背景にした復讐的な何かが製品に加味されることで、その製品の価値は何倍にも大きくなる。転落+復讐が、競争優位性になるというわけだ。
ではベストセラー作家が優位性を発揮できる復讐領域って何なのだろう。
「それを知りたいので炎上ブログを手がけているんです。復讐の形式ではなく、その裏側にどういう美意識があるのか。どういう世界観があるのか。そういう美意識や世界観の結果、どのようなコンテンツに発展しているのか。そういうことをひもときたいんです」と岩崎氏は主張する。
(関係ありませんが上記記事を読んでいて今村昌平監督の映画『復讐するは我にあり』が頭から離れなくなってしまいました(笑、)
さて本題ですが、
精神分析系心理学的解釈として言えばですね、
『抗(あらがう)っている活動の筈なのに、十分にその報酬を体感できないストレス』なのじゃないかと思うのです。
前述の岩崎氏の場合「実は成功局面もあれよあれよとで何か殊更抗った感のあるものでは無い」のではないかと、
池田氏の場合もどのこ馬の骨ともからαブロガーとなったのでは無く元NHKですから”田原総一郎的ルート”と同じであって現在の自分自身の自己顕示的実存には不満は無くても「実存証明としての抗った感の欠乏」はいかんともしがたい。
そこに岩崎氏インタビューにあった「競争優位性(=特異性)の脆さ」が同居している状況だと「法外なぐらいの報酬はあったのだが、まるで宝くじにあたっかのような体感でしかない」事には違いないワケで、
自らの実存の希薄さを埋めるように「復讐依存度」なる”空間”が派生している。
■御両名ともに情報化社会の中派生した『フリーエコノミー』的世界を”受け入れがたいもの”として捉えているのではないかと思います。
全然話は違うのですが(構造的には似ている状況として)、
大前健一氏の比較的新しい記事を紹介してみます、
反格差デモと米国など先進国が抱える深い病理
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111026/288651/
(”病理”なんて言語を持ち出すから「わからなくなるんですよっ」とコメントしておきます)
ちなみにこの件に関してはこっちの方がスルドイ分析でしょう
オープンソース型スタートアップとしての『ウォール街占拠デモ』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/24156
さて、
『情報化社会の中でトンデモ級のファンダメンタルの変化が起きている』
(直接目には見えたり数値化される現象ではありません)
その変化の断片というか水面に見えた氷山の一角が『フリーエコノミー』です、
心理学的に言えば「権威性ヒエラルキーの信用を担保していた共同幻想の瓦解」であって、現代社会のファンダメンタルにおいては『既得権的な優位性(=特異性)』のような可能性はハナから存在してません。
(極論「それは自分にしかわからない」→更に極論すると「自分にもわからない得意性が周辺他者やいわんや周辺多数などに確認されたら”どんだけ天然ですか”って話になる」→つまり構造的に「共同幻想崩壊現代社会における特異性の証明とは、単独者的認知として最低限自分の特異性を証明しうる自分(自意識マター)が一定程度確立していなければならないし、同時にそれが優位性や特異性だとするならば、それは単独で無ければ(標準化していたら優位性と矛盾する)優位なり特異なりの状態を保てない」。)
そのストレスを(共同幻想の構造を模倣して)「多数による関与」により逆説的に証明しようともがく姿が『炎上マーケティング』なるものなのかもしれません。
フォロワーの数を競うようなツィッターなどの存在が混乱を誘っているのかもしれないです。(ツィッターなどのSNSでフォロワーなどの数を競う意味があるのはジャーナリストか有名人だけで本質的には「友達100人できるかなと競う事に意味はないし、SNS構築の思想にもそんな要素は無い」。注:ここで言う有名人とは芸能人などその存在がマスメディアと相互依存関係にある場合となるので→この段階でネット社会と論路矛盾する要素も多々ある。まさか岩崎氏も芸能人のような優位性やら特異性をテーマにしているワケでは無いだろう。)
■根源のようなものは在りはしないが、
「脳内では快も不快も同じ広義の興奮で快感(ストレス代謝)」
この脳内現象を現実化するって事なら又意味合いは別となる、
所謂(いきなり変態かよって言われちゃうと元も子も無いが)サディズム・マゾヒズム的ルートだ。
精神分析的には「サディズム・マゾヒズムは一種の退行であり倒錯でもある」のだけけれども、それは無意識的である場合で『自意識マターの確信犯の場合』には(それを昇華とカテゴライズするのは又無理あると思うけど)趣味性となるので意味が違ってくる。
なんと言えばいいか「追いやられるようにではなくって、抗(あらがう)ようにそうである場合」。
↑
つまり前段での説明における
『抗(あらがう)っている活動の筈なのに、十分にその報酬を体感できないストレス』
これは「抗(あらがう)場所を間違えているところが始まりなのじゃないか」と思うワケです。ベストセラーやヒットメーカーやαブロガーの更に先の著名な評論家など”お題”が始まりからして共同幻想系なのが「終わっている原因」なのであって、
(背景が「権威性ヒエラルキーの信用を担保していた共同幻想の瓦解」なんだし)
ここに『フリーエコノミー』を重ねると更にわかりやすい。
実は岩崎氏のインタビュー発言において登場する「スティーブ・ジョブズ氏」も時代の狭間に派生したあだ花のような存在で(スティーブ・ジョブズ氏自身アップルなどの存在を欧州高級車に例えるなど共同幻想華やかなりし頃の”個性化”的アプローチなのだと思うし)、
『フリーエコノミー』に対してなんとかならんかともがいているのはむしろ『Android』の方でしょう。
(成功するのかどっちが勝つのかは別として、)
もろもろ考えてみると、
炎上マーケティングなるものは崩壊しつつある共同幻想の送り火みたいなものなのかもしれない。
(たとえとしてはおかしいと思うけど雰囲気的にそんな感じ、)
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タグ:共同幻想
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