http://npn.co.jp/article/detail/49104320/
落合監督、球団社長との「握手拒否」 「オレ流」にネットで賛否両論
http://www.j-cast.com/2011/10/19110501.html?p=all
これも野村で慣れているけれど(笑
プロ野球の場合勝つと選手から首脳陣年俸が上がるからね、勝ち過ぎた時にそれを収益に反映させる経営手腕がフロントに無いと「負けてくれて何か面白おかしい事があって客が入ると嬉しい」みたいな発想になるんですよ。
勿論そんな事やってるとコンテンツとしてプロ野球が終わってしまうワケで愚の骨頂なのですが、それが経営だと思っているトンチンカンな人は何処の世界にもいる(てっか多数である)という話です。
(どっかのアホIT球団もこれでしたな)
落合にすれば「俺に営業やれってか」って話にもなるでしょう。
(だったら筋論として球団フロント職も監督が兼任していないとおかしい、)
さてここ数年『ビジネスモデルとか何か』とか『フリーエコノミーの解釈』などいくつか書いてきたんだけれども、わかっていない御仁には(言うならば自分がファンの球団が勝つ事の喜びなり感動なりを理解できないように)実存している有用価値の相当分を落っことしてしまうことになる。
ざっくばらんに言えば近代から現代社会に至る過程で(ここでは何でもかんでも共同幻想ってのとは違うと思う)貨幣評価だとかいくつかの評価基準があった、それ自体は何らいかがわしいものでは無いのだけれど、評価基準ってものは「事象を数値化するとか整理するための方便」なのであって、それ自体が全てみたいな近視眼に陥ると(共同幻想も単独者も区別無く)『認識落ち』する訳だ。
あたかもこの世に存在しないかのような錯覚。
落合の例で言えば「今年優勝しましたが」(見えませんか?)
こうなっちゃうとね、もうね、、
経済活動における「そもそも(労役的意味において)人が働かなくなる世界ってイメージが完全欠落している完全雇用モデルは歪である」って着眼も同じ。
それがあたかもこの世に存在しない認識にとっては「・・・」で終わり。
実際のところマネーの世界では過剰信用創造的に”比較的裏付けの無い”って言えばいいか平たく言えば”インチキ”っていうかさ、これ意図しているので「労働フリー的発想」なんだよ(いいか悪いかは別として)、金融界は汗して預金集めをする営業労働をすっ飛ばす方法を発明した訳だが、これ営業職の失業って話にはならない。
単にマスがデカくなって(デカくなりすぎて世界経済おかしくなってんだが)生産性って尺度から言えば預金集め営業が数倍無労働で雇えるぐらい儲かった。
なんて言えばいいのかね、
「労働フリー化係数」みたいな尺土があるのだとしたらこれを経済企画庁なりが評価して、「今年の我が国の労働フリーは何%」とかできるワケ、
(以前経済界が正常だった時代にあった「私に任せてくれれば10年で地方行政の無税化可能」とかって論議は着眼的に似ていると思う。)
「労働フリー化係数」が存在すれば国家政策の一部は「所得の分配」という名前では無くって「労働フリー化の分配」って事になる。
ボランティアであるとかNPOやNGOの拡大はそこにリンクして、、
↑
こういった政策的開拓地がですね見えていない。
まったくもって、
「今年優勝しましたが」(見えませんか?)と同類項ですわ。
(仮に所有しているプロ野球チームが強豪であれば”勝つ前提”のサービスがイロイロ発生する。ファンに対する”勝利の分配”のようなものです←あれれこれはプロスポーツ基本中の基本じゃないスかね。)
■実はこの『認識落ち』の概念は何も新しいものではなくって昭和の伝統的な問題意識だったように思う、
映画・ドラマのシナリオには「今まで何年も通勤して見てきた風景がこんなだったなんて初めて知った」のような台詞は珍しくなかった。
脳内には音なんかに関してノイズリダクション機能があることは有名ですが(聞き取りたい帯域をイコライジングできる)、勿論これは認識にもある話でリソースの管理ってか最適化ですか?これも脳の仕事のうちですからね。
(逆に様々なタスクを常時並行処理し過ぎてフリーズすることもある→『思考停止』)
ボンヤリしていると自分の生きている世界の一部なり(或いは多数)が欠落する。
これは昔っから作家さんやライターあたりは着眼していたのであって、
(それこそ紫式部の恋愛の発見とかさ)
言語論とはちょっと違うのかもだけれど、概念としての切り口ロジックが落っこちると(なんつのランタイムが無いみたいな)そうそうに発見できないものもある。
忘れちゃいかんのは「それは発見できないのであって無いのではないよ」って平原というか認識なりロジックは膨大に存在していて、この分業化ってか集合知的な情報ネットワークが”ネット社会”なのだとするとさ、
『世界的なデモの意味』が違った景色で見えてくると思う。
(そこが見えていないと”その1%は世界に対する先進国の既得権だ”みたいな馬鹿話になる。←発想自体が落とし穴的だよこれ。)
さて、またもやそんな狭間に落っこちてしまった落合はどこに行くのか、
或いは落合はどんな風に『抗(あらがう)』のか、
↓
いやね全然関係無いのだけれどピッタリの動画がありましたよ、
現役選手の頃のようにこんな風に抗って欲しいですね(笑
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