その名のとおり最初の発見は『ギリシャ神話オイデェプス王』から引用された「男の子が普遍的に持つ父親の象徴との関係」だった。女の子の心理的葛藤も、基本的にはこのエディプスコンプレックスを基本に考えられている(エクストラコンプレックスと表現されるのは稀)。
早い話、心理的な悩みの構造と家族社会は不可分の関係にある。
ここを短絡的に考えてしまうと「鬱などの心理的な悩みの原因は親だ」となるが、これは完全な間違い。
極端に認知を進めるときに、同様の考え方から入るのはアリなんだが、学問的には正確ではない。
ここのところの話も実にわかりにくくて、簡単に言葉にはできないのだけれども、順を追ってここを説明してみよう。
自我の中で脅迫(強迫)的ストレスとなる無意識下のイメージは「象徴的な権威」であったり「象徴的な正当性」のようなもので、このモデルが「ほとんどのケースで両親のどちらか乃至両者である」となるんであって、一次的かつダイレクトな関係ではない。
『幼児のデフォルメ』ってものは、子供時代に遊んだ公園が大人になって訪れると妙に小さな公園だったりするアレで、そりゃ当然『幼児』って、人類の標準から見るとやたらに幼児自体の存在が特異(人類の進化で起きた未熟児出産⇒「幼児化」を発端とするネオテニー)なのであって、本質的に極端な存在は幼児の側にある。
幼児のファンダメンタルに「夜泣き的不安」が普遍であるの事がそもそもの前提である事を忘れちゃいけない。
つまり「幼児と親」という、極めて特異な“社会性”が「ひとつ間違うと大きな葛藤要因になる」原因だと言ってもいい。
実際の葛藤構造の流れは
「自我構造=言語的未熟さ」は、両親の置かれている現実についてそのまんま認知する事が事実上不可能である。両親も個別に個人としての人生を生きているのであって、その人生の中で感じられるストレスを家庭内でどう位置付けるのかについて自分の力だけで考える事が出来ないケースがある。
この時両親の振る舞いは、幼児にとって「ただ不可解」なだけである。
※一般的なイメージの「幼児に対峙する親イメージ」が、笑うぐらいステレオタイプで、まるで自分の個人的本音が一切無いかのような滑稽なものである事を思い出して欲しい。「はーーいママでちゅよ〜」と言葉を発する人物が、本来多重債務に苦しんでる事等どうやっても合理的に関連付ける事は自我には不可能だ。
実は幼児は人間としての自我が未発達であるだけで、類人猿としての感受性は大人と大きく変わらないので、親が(たとえ言葉がわからなくても)「実は私ね」と自分の個人的な気持ちを吐露すれば「幼児はそれは何か自分なりに考える」のであって、その判断を幼児に任せればほとんど問題は起きない。
心理的な問題への関与で最も代表的な行動は『隠蔽』である。
しかし親は、育児イメージからまるで自分の個人的な思いは幼児に対して表現してはいけない(まるで幸せで何の問題も無いやさしい人物であろうとする)と思ってしまうケースが多いため、個人的な問題を余計にわかりにくい形で表現してしまう。
「失言」や「感情的破綻」だ。
ついさっきまでやさしかった母親(実は欺瞞)が、「うるさい黙ってなさい(借金の返済の考え事をしている)」と怒鳴ったとする。幼児は今起きた現実を自力で合理的に考えなくちゃいけない。
そ も そ も が
言語の未発達で、事情がわからないだろうって与件から、親は幼児語を話し且つ深刻な問題を隠蔽しているってのにそうすればそうするほど、幼児は「自分ひとりの力で消費者金融とは何か」を調査した上で認識しなくちゃいけないわけだ。
んな事絶対不可能なので、
「一体何が起きたのか」という獏とした不安に繋がる
不安は強烈な心理的ストレスなので、早急にこれを「解決可能な具体的恐怖」であったり「修正すべき教訓」に処理したいという欲求が生まれる。
「自分が何か“悪い”事をしたのだろうか?」或いは「この人は可哀想で自分が助けてあげなくてはいけないんだ」とか、
この構造は「権威者と幼児」という枠の中で始まり、残念な事に(幼児の動物的勘がよっぽど鋭利でない限り)ほとんど100%に限りなく近く「的外れ」であり「間違っている」と言ってもいい。
=絶対そんな思いつきでは解決せず、こういった現実は家庭内で繰り返される。
行動による解決は絶望的で「こうに違いない」を無意識に抑圧する結果となる、
抑圧の構造ってのは「反動」によって可能になる。
「いい子になりたい」と考えると「自分が悪いのだろうか」というロジックを無意識に追いやる事ができるからだ。
事実上問題を先送りし、この瞬間問題は後送り(?)・記憶送り(?)化する事になり、同時に解決していないのでジリジリと恒常的ストレスとなる。
これが葛藤であり「被(こうむる)」の全体構造であり「過去に追いつかれる(ノスタルジー)」となる。
つまり、幼児期の自我は大人の自我と連続性を持つのだから(同一人物なんだし)、家族社会を原型にこれを発展投影して大人社会を認知する。つまり、この無意識の葛藤は大人になって以降の「社会や権威」に容易に投影され、ストレスとして(過去から)その不安感を追体験するように再現されてしまうのだ。
不安の対象は『象徴化(=実像がデフォルメされている)された両親のイメージ』この時既に現実の両親からは独立した存在で、これは事実ではない。
しかも、この構造は「不安から逃れるために構造化されている」のだから「今更事実関係がどうであって、あの幼児期の不安は“単なる杞憂”で、なーんだ自分は何も関係無いのか」等と簡単に思えないのだ。何故って「不安から逃れる」という利益(快)を前提とした保守構造が働くからだ。
皮肉な事に、自我自身が矛盾する自我構造をも守ろうとする。
(過去や両親の話がタブーになったり、そういった思考を始めると感情的に興奮してしまう現象)
しかし、同時に「大人の今であればどう考えてもナンセンス(矛盾している)だ」という話が合理的だと思う気持ちは健在であり、簡単に言えば「話せばわかる状態」と言える。これがカウンセリングが効果的である根拠、
どうやって説得を試みるのか、「既にわかっている事を、改めて説明し、まるでわかっていなかった事を発見して驚いてもらう」という難しい作業になるので、構造全体をシュミレーションできる力(ある意味創造性)が、カウンセリングに必要な力となる。
※このカウンセリングの原則は精神分析的アプローチの場合で、臨床心理系のカウンセリングは別の考え方をしている。
それはともかくだ。
この親の行動自体が「神経症的な強迫であったら?」
幼児が解決しなければならない事実関係は、天文学的に難解なテーマとなり、同時に親の見せる神経症的な感情的破綻は「想像を絶するほど幼児には恐ろしい」。
自我構造はより難解な(矛盾の多い)構造でこれを抑圧し、自分自身の認知では到底これを分析する事が不可能になる。
そして、無理のある構造は自我自体の構造をも不安定にし、葛藤の投影対象以外の現実認知すらデフォルメされリアルなサイズに認知できない(不安症的)ケースも起きてくる、
つまり「家庭に問題があった」事は避けようの無い事実である事が、その症状から証明されている。
「鬱などの心理的な悩みの原因は親だ」この言葉が、簡単な表現でいえば合っているようで“全然違う”のがわかってもらえるだろうか?
ここが肝心なところで、当事者である子供が「家庭内暴力」のようにあからさまに親に感情的になる事は、この「完全な的外れ」にはまってしまい、一見「原因は親だ」の延長で見ると合理的に見えてしまう。ところがこういった行為の本当の狙いは『象徴化された自分の自我の中の親に関わる葛藤構造を保守するため』実はそれに具体的に該当しない(存在そのものが「誤解の反証になってしまう」)本物の親を否定する事が動機形成の根底にあるのであって「救いようの無いナンセンス」であり、故に「心理的悩みは、そういった動機形成によってエスカレートする」。
『簡単な表現でいえば合っているようで“全然違う”』
ここの言葉にならない微妙なニュアンスこそが、心理学的なテーマである。
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