つまり、精神的な脅迫(強迫)構造が関係していると思われる「家庭内殺人事件」に対してだ。
本来精神的な悩みを持つタイプの人格構造の犯罪発生率は、総合的な犯罪発生率より低く犯罪や事件性は精神的な悩みに直接関わるものでも無い。
ただ、事件性のあるケースは報道内容等から若干でもパーソナルな情報が表に出てきたりTVメディアなんかでもどこから連れてきたのか「犯罪心理学専門家」なるコメンテーターも盛んに登場する。さながら番組内で「事件の真相は」=「被告・容疑者の深層心理は」なんて話になる事も多い。
最初に「そもそも事件性」というものを整理しておきたい。
個人的主観だが「刑法39条(神喪失者の行為は罰しない・心神耗弱者の行為はその刑を減軽する)」には反対であり、少年法についても同様の考えを持っている。結果責任や当事者認定は当該者にとって最も重要な「権利」であって、これを「何人も侵害(「当事者責任無し」等という)する権限を持たない」という考えから、
そこを前提に後述を読んでもらいたい。
事件性には法的なものと、普遍的なものの二種類あるだろう
名文法文化において、その法律は立法・司法・行政当事者それぞれが機能して成立してる『時限的合意形成』なので、普遍性は無い。むしろ「量刑に対する取り決め」と考えておけばいいだろう。
重要な部分は普遍的事件性になる、
人類の性善説とか性悪説って論法から考えてみると
まず「んなもんナンセンス(笑」
この世に善も悪も無い、神様が「これとこれが善デース!」とでも絶叫するなら有り得るかもだが、そういった絶叫を俺は聞いた事が無い。この辺は仏教思想(非宗教的な)なんかにも同じような考えがあって、実存主義哲学の同じ流れ。
そもそも「善と悪を判断する当事者とその正当性を普遍的に担保する根拠」ってなものを定義する事は不可能だからだ。
だとすると、普遍的な事件性ってのは「不自然な現象に対する謎の動機形成」と言うことになる。
何故なら自然(妥当)な動機形成に基づく行動なら事件性が無い事になるからだ。
ってことは、確信犯的な(商売ととしての)犯罪を除く『事件性』とは、何らかの精神的な問題に起因している事になる。
間違っちゃいかんのは、精神的な脅迫構造は全人類に普遍なもので、そこに程度の度合いがあるだけ、
フロイド発見のエディプス・コンプレックスは普遍的な概念であって、個別事例の話ではない。
この脅迫構造をどんな概念でバランスさせるのかって世界観(や『共同幻想』)で各種文明や文化があるのだから、
さて、そうなるとこの事件性はどんな分野に関わるものなんだろうか?
一般に脅迫(強迫)構造は『被(こうむる)』という受身の形を持つ(これが精神的な悩みを持つ人の犯罪発生率が低い理由=内向化だ)ので、能動的(加害)な行為になる事件性についての動機形成は「何らかの反動形成の結果」を見るべきで、「一義的な動機ではない(本旨ではない)」事になる。何故なら内向性と能動性は対立概念だから。
そんな背景でも何故事件は起きるのか?
事件性の典型例は「戦争や革命」だろう、ここに共通するのは「現状に対する拒絶」だ、受け入れがたい現状を自分なりに考える現実の世界から見て「大事にするべきものっていうより、個人的には迷惑である」って感覚になる。
これはとても説明の難しいもので、
本人の感じる現実感が内向的傾向で偏っている時(偏りがないと「葛藤を無意識に抑圧する事はできない」)、構造的に現状に対する「敬意」のようなものは後退する。わかりやすくいえば「どうでもいいもの」、
実際こういう構造自体は何ら事件性に関係無い、
現実を拒絶し、批判的(実は自分自身の実存を批判している)に内向化する結果になるからだ。
この時、膨張する無意識の抑圧が大きすぎると(葛藤の内容的に)このストレスの代謝を仕事にする自意識は「社会や現状に対して批判する自意識単体が“そのストレス代謝的動機形成”を肯定的に過大評価する事がある」、
つまり、「抑圧が浅い(抑圧構造の安定感が弱い)」ため、感じるストレスもダイレクトに近く、薄々自意識にもその内容に自覚があるため、これから距離を置くために極端に「内省的思考を避け、外に問題がある事を証明するために事件性が必要になる」と言えばいいか。
不条理な話になるんだけれども、事件性で補完しないとリアリティー(現実らしさ)が担保出来ない。
そうなると、構造的に事件性そのものがストレス代謝の対象となり、基本的にこのストレスに従属的(構造的に抵抗力が弱い)な自意識にはこれを覆すロジックを「想像できなくなる」。
問題の外部化によって、偏った人格構造と現実をバランスさせて「実存その物を肯定しようという試み」と、見てもいい。
能動性はモチベーションによって引き起こされるのだから、これが自発的なら(人の欲なんてたいしたもんじゃないので)ここに事件性は結びつかない。つまり、一般的に先進的な悩みを持つ人は「パーソナルに悩む」んであって、事件性とは無縁だ。
しかし、このモチベーションが「構造的」だと、その中心(当事者)を自分ではなく「社会として」発現する、
言葉として壊れてしまうんだけれども「社会的モチベーション」、
これが可能なのも、自意識を従属させ葛藤要因を無意識に追いやる原動力が「道徳の形である」部分が関わっている。
つまり、個人的(個性的)自立性を従属させる事ができる概念は「公共的」であり、必然として道徳的形(フロイドで言うなら『超自我』)となる。
皮肉な事に「家族内殺人事件」の構造は、パーソナルな動機形成というより「家族という小社会の、社会性を動機として起きる」。
それは、現代社会において「既に家庭はパーソナルな単位ではない」証明なのだろう。
『道徳的形』であるからこそ、容易に犯罪のハードルを越えてしまうのだ、
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