衆愚政治であるとかポピュリズムの誤訳であるとかの何やら原理主義的話をしようってのではなくって、現実に政治の舞台でこれを制度として行う場合「なにがしかの制限を現実」として受け入れてきた。
『選挙制度』でああるとか『選挙権』であるとか『報道』であるとか『公職選挙法』であるとか『民度の問題』であるとか『流れができちゃう部分』や『政党政治』などなど、
随分昔いつのことだったか、ネット社会と民主主義の話を書いた時に「今後は国家民主主義が壊れるのではないか」的な話をしたと思う。原理は簡単で支持を集めるとか情報や政策を発信する上において”国外から”という可能性が大幅に拡大するからだ。
(そりゃ戦争の歴史においても”亡命政権”ってのはあったけれど内容は別物だから)
仮に支持を集めようと選挙活動を考える場合でも「海外のパワーブロガー」であるとかに訴えかけるも何もどこの国にお住まいですかな状況になるワケで→小選挙区→中選挙区→比例代表→全国区→グローバル域→インターネット社会へと、エリアがボーダレスになってしまうわけで、今後の世界は国家単位での民主主義はどうやって運営していくのみたいな話。
そんな話を考えていた当時に加えて現代社会には「500万以上のフォロワーを従えるツィッタアカウント」みたいなSNSも加わった(こちらの方が集票効果的イメージそのままだし)、
中東の政変にツイッターやフェースブックが大きな役割を果たした背景には、SNSにおける”口コミ報道性と拡散性”や”非拘束組織性””無料であること”など極めて『政治的なインフラ』的組成を高めてきた結果だろう。
そこにウィキリークスが加わった。
ネット社会到来によって選挙が変わるとかそういう矮小なレベルの話ではない(ネットを通じた選挙活動であるとか電子投票などにはたいした意味は無いと思う)、
■『民主主義のインフラそもものが変質した』という事なのだろう。
大きなトレンドとして底流に流れる『共同幻想崩壊過程』において、中間的にSNSがこれを補完し(仮想集合知)あたかも”クラウド”のような社会階層を解放系(オープンショップ)で実現している。
つまり大票田とも呼ばれた封建以来の各共同幻想分野(業界や団体やマスコミ的常識や流行や社会適応標語など)ゲゼルシャフト(地縁血縁ベースのゲマインシャフトが崩壊し近代以降利益合理性(やインセンティブ論により)再編成された社会構造)が『フリーエコノミー化した』わけだ。
ゲゼルシャフトの合理性というかそのコアは「社会と個人の財務・経済的内容」なワケで、
これが一気にフリー化すれば根底から瓦解するのは説明の必要も無い。
世界がドラスティックに変化するのであれば(エジプト的ハードランディング)それは一気に発端となったSNSまで巻き込んで自己崩壊し「単独者による民主主義」を模索されていくことになるだろうけれど(SNSは概念から単なるシステムに再還元)、それこそエジプトじゃないがハードランディングは「壊したがいいが新政権をどうしたものか途方に暮れる」のも事実であって、その”繋ぎ”的に「メディアとしてのブログやSNS」なる領域が(世界に流通するテキスト総容量比において)『暫定基準化』しているのだと思う。
※そもそもSNSも多数のフォロワーを従えたアカウントだけが極端に力を発揮するなど(そもそも個体評価では無くその集合性が力を拡大する)、単独者的世界から乖離する部分も多々ある。
今後の話はともかく、
思い返せば『果たして現代文明世界は民主主義だったのだろうか』激しく疑問になるワケである。
(近代から戦争の歴史時代は”市民階級”という共同幻想概念による”市民民主主義”という何やら代議員的間接性がある→それを補修しながら現代の民主主義に繋がっている。欧州言うならば教会権力からの解放が「信者から(教会ではなく)社会契約による市民へ」を意味していたワケだが、)
「選挙に行っても無意味じゃないか」的失望感はこういった経緯の中に埋没していたのだろう。
かといって安易に「さあみなさんようやくある程度期待できる民主主義が始まりますよ」などと楽観論を始めようというのではない。
又、覇権主義的に「なんちゃら時代に打ち勝つなんとやら」みたいな馬鹿話を考えようってことでもない。
例の原発ソングじゃないが
「全て=インチキ(幻想>願望)だった」
↑
こういった記号がババババーーンと世界に拡散中だろうと言う話。
(日本だけでなくアジア欧米においても”所謂人物として評価される政治家が絶滅中”という現実がこれに符合する:早すぎた単独者である野村監督や小沢一郎は自分が独裁者にでもならん限りパージされても当たり前。)
ビンラディン殺害の瞬間急上昇したオバマの支持率があっという間にビンラディン以前(標準時)に急落している。
明らかに(幻想の)賞味期限切れ(ネタバレ)が早まっている。
なんでしょうね(笑
映画スターウォーズじゃないけれども、現代社会の創世記(大正ロマンといいますか)における退廃といいますか、そういう時には全く無意識に『原理主義的民主主義VS帝国主義』などのどっちに転んでも問題な歴史の選択期に突入してしまったりしますが(これは『階級思想的な共同幻想適応(反動系)VS興奮する孤立者(反動系)』←どっちも反動系みたいな個人の自我における反動論とよく似ている)、
カオス的不安定性としてそんな時代に似てなくもない。
(圧倒的フォロワー従えるアカウントが暴君ネロ化するのは不可能だろうけれど)
なにせ民主主義の基本は「各人意見がバラバラ」であることで、民主政治体制とは「そのバラバラの意見を合理的に集約化する手法」ですから、集約化する政治的技術以前から集約されていたらおかしいワケですよ(笑
ある意味ネットにおける『集合知論』も解放性(オープンソース)に意味があるので、課金などのシステム導入には非常に高いリスクがあって(フリーエコノミー的にもっていかないと難しい部分が多い)、よって今後も読みにくいとなります。
わかっているのは民主主義にしろ呼応する政治体制にしろメディアの問題にしろ「今始まったばかり(そしてこれがどうなるのかもさっぱりわからない)」という事なんでしょう。
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民衆の感情が自己の力である。民衆が理性を取り戻すことを呼びかける者ではない。
感性あって、理性なし。指導者は、ブレーキの効かない機関車の役割を果たしている。
「理解」という日本語は、首を縦にふることであって、話の筋を把握することではない。
だから、理解しているにも拘わらず反対であるというと意味がわからなくなる。
国民の理解を求めるとは、あくまでも肯定せよということである。
一種の「長いものには、巻かれろ」という指導者の要求でもある。
決して民衆の理性に訴えるものではない。
理性のない民が問題である。国を危険にさらすのである。このことは、今も昔も変わらない。
リーズン (理性・理由・適当) の理解は、日本人にとって難しい。
それは、日本人が世界観を持たないことに関係がある。
世界観とは、自分がどのような世界に住みたいかという、非現実的な内容である。
自分が見たくもなく、聞きたくもなく、話したくもない内容の存在しない世界は、一体どのようなものであるかということである。
このような内容を持ち合わせていないならば、憲法を含む基本法の改正など思いもよらない。
日本語には時制がない。だから、日本語脳は、現実とは違った別世界の内容を考察するのには都合良くできていない。
日本人は、考えの上であっても現実の世界を脱出できない。
世界観 (非現実) の代わりに「世の中は、、、、(現実)」の内容を考えている。
「人をなぜ殺していいけないのか」の問いには、「それは、自分が殺されたくないからだ」と答えることになっている。
もしも、自分が殺されないのであれば、その時の基準はどうなるのであろうか。
恣意の世界の自由主義 (自由の履き違え) になるのであろうか。
現実の内容と非現実の内容を区別することなく語れば、それは空理空論となる。
これは、日本流高等教育の行き着く先でもある。卒業生は曲学阿世の人になる。
現実を離れた問答ができなければ、人間は、子供かアニマルのようになる。
これは、昔マッカーサが観察した姿の日本人と同じである。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
(根本的に日本語より諸外国の言葉が特別優れているとは思えない。日本語における平安時代のかな文字変遷同様に諸外国においても特に欧米は公式がラテンで英仏独語ともにこれらは地方の方言的に”或いは卑下されていた”ワケですし、)
ポピュリズムの御解釈と、反戦リバタリアニズムの本質(ネオコンと混同されて更に誤解生んでますが)など、保守論で言えば回りくどい高邁な論旨にそれほど大きな意味があるとも思えないし、『単独者的アナーキニズム』はこれに通じるところがある。
(政治的インフラの瓦解という点では欧米もアラブも中国も日本に負けず劣らずですよ。米国など更に酷いと言えかもしれない。)
重要なのは情報の確度であったり媒体の偏向などというところに問題があるのであって(日本封建時代の落書(らくしょ)もかなり罪重かったみたいですし、アニメ文化に連なる浮世絵の本質は当時もご法度の春画だったわけで)、検閲の内容はともかく、戦前の日本がインチキ明治維新の捏造により、戦後の日本の問題はGHQ・CIA合算の半分謀略なワケで(日本TV読売グループの問題「正力CIA論」)、現在のブログや2chなどに代表されるアンダーグラウンドな文化への親和性は日本古来からのものです。
(こいつを明示偏向や戦後偏向がスポイルしてきたとも言えるのであって←本来文明化の民主化でこっちが戦後あたりからドーンと前に出ていなくちゃいけなかった)
そもそも高等教育などというものは(更にそれが義務教育なら尚更)基本的にクソの役にも立たなくていいのであり(国民皆兵じゃないんだから)、大学などというのはみょうちくりんな研究に人生捧げる”フリークス”の巣窟である”べき”なのであり(ここでも高等教育の元祖が神学校であるネタの話するならば←近代とは教会権威からの脱却解放がレーゾンテートルなのだし)、
経済政策のための労働者と言う名の兵士を一律に要請するような馬鹿な教育がはなから間違えていたのであって、
ハードにロジカルな個人なんてものは、高等教育なるものは馬鹿であるからこそ個性(ユニーク)が最大化するんであって(偏差値的ステレオタイプじゃその真反対なんだから)、
(逆説的に言えば保守的社会学を考えるなら本来異様な高学歴化は先進国の正しい姿では無い)
極端に言えば「4大出るような奴」というのはワケのわからん荒唐無稽な話ばかりする馬鹿者であるべきなんです。
こういうところに戦後民主主義(本質は東西冷戦を前提に米国の出先期間として赤色化の防波堤となる”水準”を維持する事)の偏向があったのであり、
本質的なそっち方向への可能性はバブル直前の『前川リポート』辺りにチャンスがあった。
(世代的には『新人類』からテイクオフしてもおかしくなかった。)
なので現状の日本は当時そのチャンスを失い、結果としてその反動もあって現在急速に再構築が進行中という事でしょう。
(ネット環境などインフラもようやくおっついてきたし)
政治的に言えば小沢を使えるかってひとつのリトマス試験紙みたいなものありますが(まーそれは無理かもしれないが)、少なくともそっち方面の謀略説を知識としてまったく知らないという人はネットに接点あれば”かなり減っている”わけで、小沢は無理でも次の可能性はある。
現状に腹は立ちますしイライラすることも無いじゃ無いが基本的に私は楽観してますよ。
面白いことが始まるのはこれからだと思ってます。