人間は等しく”種として人類ヒト科である”という現実において普遍的に平等であり(不平等であることがあり得ない)、現象論としての「社会的不平等」は概念として狭義のスポーツにおけるルール上の公平さのような論議で(そもそも人間はどの社会に参画するとかそもそも社会に参画するか否かにおいて広義においては名目自由である)、この辺の平等論は哲学的話に馴染まない。
※ここ誤解が輪を広げそうなので補足しておくと、
日本社会というような実体はひとつの仮定的な概念であって(民族論も同じ)、
なんとなく「存在いている前提が一般的に流通している」といったような、これも即ち共同幻想である。
だとすると「野球のゲームをしている時に成績の平等を求める」ことは根本的な矛盾であって(それじゃ野球にならない)、社会的公平さ(平等)が求められるのは『ルール上の公平さ』となる。
(話を広がれば経験や練習環境含むとか論議自体は広がると思うけど)
話を日本社会に戻すと、
前述のように共同幻想である日本社会なる言語を自分自身の日常会話において”通用する”と認めている場合、それは=「その段階で平等性を肯定しているのと同じ」となる。
↑
これどういう意味かと言えば、
野球と言うゲームの存在を認知している場合、その段階で打席なり守備なりで派生する”機会”の現実こそが=プレイであって、野球と言うスポーツにおけるルール上の公平を知っている事になるので既に公平性は認識段階で担保されていることになる。
(一塁からいきなりホームベースに戻ってくる人がいるのじゃないか?のような不平等論は不平等とかそいいうレベルではなくて←これじゃ既に野球じゃないワケで)
日本社会のルールは憲法であり民主主義における政治であったり(国籍であったり永住権だったり)、そういうレベルの認識の共有(共同幻想の成立)をもって既に平等である。
(沖縄基地問題のように同じ日本国でありながら扱いが法的にも違うのじゃないかみたいなレベルで不平等論が成立する)
確かに結果において既得権益の世界であるとか「あたかも不平等っぽく見える」現象はあるんだけけれども(野球で言えばレギュラー確約のドラフト1位みたいなもんか)、”結果において”という要素が更に輪をかけて「どうでもいいような話」であるのは、『選手全員が全打席でホームラン打つ野球』が成立しないのと同じぐらいナンセンスであり、そもそも野球というスポーツの概念は打席なりの”機会”を楽しむもので、結果に差異があるから”し甲斐”のインセンティブとなっていて、
(その解釈も様々で3打席連続三振を語り草に面白がることは誰においても可能)
プロ野球のようにその結果を”実力”として確認する事が目的化しているのであれば別だけれど(言えばプロ野球選手は広義の野球世界や野球社会における原理主義者みたいな位置になるから)、広義における野球の概念としては「まーね結果はイロイロ差異があるところが面白いのである」となるので、極論結果は”ネタ”に過ぎない。
「されど野球」とかの言葉にあるように、
極論”ネタ”に必死になる様こそ「シューシュポスの神話」なんですよ。
(勿論共同幻想なのだから前提となる枠組みは好きに選べばいいのであって、何も日本国民は国技の相撲を必ず楽しむべしみたいな論議は無い→当然野球に興味が無くてよいし将棋でもゲームでも小説でも自給自足でもひとり山に籠って仙人めざしてもそこは何でもいい)
↓
結果の差異を一人称で考えると
”自分”は同じ人間なワケだから、
『ホームランを打つ自分』
『三振だった自分』
これ同じ自分なんであって、、
自分であることにおいて(結果に関わらず)平等(同じ自分)なんですよ(笑
(むしろ違うなんて事があればSFの世界)
そらね、プロ野球選手張りに原理主義的であれば厳しい努力をして「ホームランを打つ自分への変貌」のような世界は前後において”違う自分”なのだけれど、この概念の成立必須条件は”激しい努力の有無”なんだよね、
その過程(激しい練習)が間に挟まらないと結果の差異は意味を持たないんだな。
つまり、既得権益は見た目不平等論の花形であはあるんだが、
上記の論議を前提にして見ると”その過程”が非成立だから意味が無い。
(全打席スコアブック上ホームランになるって既得権益があるとしたら→もうその段階で自分は野球のプレーヤーだっただろうかって実存すら怪しくなる)
それに気が付かずに既得権益を保守したりひけらかしたりするのは、「あなただいじょうぶですか」なレベルの自爆であって(妙な信仰宗教の信者みたいな話)、
しかるに、
気ままに野球を楽しむ人は、激しい努力の過程も無く「打っても打たなくても変わる事の無い自分(平等)」を前提としながらもその結果に一喜一憂するバカバカしさみたいなものを楽しんでいるのであって、
(極論誰かがスコアブック書き間違えて虎の子のヒットをエラーと記入していてもどうだっていいことなんだな)
だからこそ「シューシュポスの神話」なんですよ。
こっちサイドの(言えば原理主義的では無く市井の人の)平等論の醍醐味ってか、それは普遍的に『縁と運』になる。
↓
俺はそういう世界を”気ままなシューシュポス”的世界と考えていて、
なんてーか「そこは縁と運」という言葉は幸福論でもあんだと思う。
(幸福論なんて論議があるのであればですよ←その仮説を証明しようとしてみたらって話)
逆説で考えれば話が早い、
結果に一喜一憂する場面は「賭けの”後の祭り”」だから(将棋や囲碁の対局後の反省座談会というか)、終わったところというか「ジェットコースターが到着した後」であるとか「映画館から出てきたところ」「JAZZ喫茶でお店から出たところ」となるので、幸福との接点というかその軸線上に無いのである。
つまり幸福論と違って仮説上の不幸論は成立しない→これ不幸が無いって意味じゃ無くって不幸って言葉は言語としても『幸福論の否定形』だから言語として不幸が成立するための絶対条件は”幸福論の成立”であって、
不幸論は成立しないが個人が「今回は不幸だったよ」と語れる場面は「後の祭りだけ」であり、
(実存的に言えば「実は不幸では無くて不運」:バッドラック【bad luck】とかハードラック【hard luck】)
いやいや「そのジェットコースターに乗る前の幸福が幸福じゃない場合もあるでしょ」な意見もあると思うんだけれど、それは『縁と運が成立していない』からで→本人にとってそれが「予定調和的に結末の不幸が確定的である」となるため、反証として幸福論の成立条件は『縁と運』となる。
漠然と考えると「予定調和的に幸福や快感が確定的であるほうが幸福じゃないか」と思う向きもあると思うんだけれど、それは『既得権益論』と同じだって事。
↓
こういう予定調和的幸福論(既得権益)への願望や渇望は、「もっぱら既得権益外の世界から既得権益世界への批判であるとか”象徴化”」が行われている場合の話で(レギュラー確約のドラフト1位が誰にとっても幸福だなんて事はあり得無い)、実際既得権益保持者の立場になればその論法は即座に崩壊する(強迫的保守による視野狭窄で本人がナンセンスに気が付かない場合もあるけれどそれは”別の意味の不幸への階段”だったりするから又別論議)。
ここで思い出してほしい。
「シューシュポスの神話」における不条理、
そして『縁と運』のロジックは、その不条理への無謀な闘争のような形を成立させていて、
同時に”空想でしかない幸福論”のこれまた(不条理が実存的なので)反証的実存証明となる。
※原理主義的な結果論を人生訓とするプロ的世界は又別の論議になる。
■こういう話になると政治的な意味での『機会の平等』とかって話に被るって言えば被るのだけれど、実存主義的に言えば「その機会は唯一(ユニーク)で二度無いのだが、概念としては不条理なぐらい同じもの(同じ自分)が繰り返される」とかの方向になるので、政治的な意味の機会の平等論は”法的公正”と表現した方が妥当な話で、マジに平等と言っているものでは無い(常に唯一なのでこれを複製する事は不可能であるため)。
「意味ワカラネー」って場合あると思うんだが、
ここも一人称で反証的に考えると簡単。
『同じ会社の同じ職種の面接を二回やった』
機会の平等的な条件を整えても「それは」同じだけれど違う」のさ、
なので”同じ事に拘”る(ましてや結果の平等のような)ナンセンスな方向に考えると常に現実(実存)から乖離するワケで、
「野球のルールは同じじゃないとそりゃ話にならない」という審判員の部分が機会の平等を表現していて、「それは野球の打席になっているか」という”ゲームの公正さ”とかの話になるから、これは政治論で『縁と運』とかって話に馴染まない。
(『機会の平等』とかって話は「裏口入学は禁止」のような政治論)
■心理的側面で言えば「既得権益的世界」における結果の平等論のようなものへの偏向は『強迫心理』抜きに説明不可能な”論理の破綻”という事になる。
(その論理構造自体が「強迫心理の介在」を自供しているのと同じってこと)
これは強迫心理の”拠り所”が常に幻想としての象徴化された一種の『既得権の仮説』だからだ。
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タグ:強迫心理
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