葛藤を辞書で引けば
:心の中に相反する欲求が同時に起こり、そのどちらを選ぶか迷うこと。
話を簡単にすると人の現実認識は「一面」では無いので、全ての認識に「相反しない」要素を排除するなんて事はあり得ない。実際この「相反する要素」を整理するために、概念の順列(あるいは階層)を位置付ける超自我が存在し、一般的にはこの背景は「共同幻想」になるのだから、自我的には、この「思考の順位制」のようなものが整理すると自分自身の中で「結果としての結論」が出るので、葛藤の存在を意識する事は少ない。
1使い勝手2色
だった時
「この機能性は買えるが、色が赤しかないのか」
でも「じゃこれください」という結果になる。
心理学的な『葛藤』が問題なのは、超自我内に葛藤が織り込まれている事に他ならない。「思考の順位を決める上位概念自体に矛盾があり、自分の意思を決定出来ない」ことになる。
言い換えるなら「自分が何者であるのか」について主体的なイメージを持つのではなく、受動的にならざる負えない。(実はここは「ニワトリと卵」の関係にある。後述、)「みんなと同じに」の意識もこの連想性からくるもので、現実に「みんなと同じ」という概念は自我では成立しない、「みんな」が不特定の抽象概念だからで、「定義=順位」に繋がらないからだ。
そもそも『葛藤』が超自我に織り込まれるのは、「解決不能の不快感」を無理くり無意識に追いやるため、その反動形成として「押し込む(抑圧)ための理由」が、超自我に必要となるためで、
「そもそも現況の自我に押し込まないといけないのだから、この不快感を押し込める理由は、現況の自我と矛盾する」ので、『葛藤』となる。その超自我に取り込まれる時に「何故自我自体が、その矛盾に対して、超自我の判断としてはねつけられないか」と言えば、「避けられない緊急事態」であったり「家庭問題」のような「自分の意思だけではどうにもならない要素」であったり、「幼児期で、そもそもその超自我(第一次反抗期で、初期的な超自我は形成されている)がまだ形として出来上がっていない」から、等が原因として考えられる。
ここが、『葛藤』の解消への答えになっている。
つまり「大人の自我にとっては、この矛盾性は解決可能」だからで、最も重要な事は「何か変じゃないのか?」という違和感だ、
自我が感じる不快感に解決不能の事象等無く(これが「やってやれないことはない」とかの言葉の根拠で、この言葉も実際に「できてしまう」の意味ではなく、「できない等で悩む事などあり得ない」事を示唆している。)、自我は「交渉」によって「選択」の答えをみつけるシステムそのものなのだから、解消へのプロセス事態は難しいものではない。
しかし、『葛藤』として取り込まれた「反動的(その証拠に本人もその概念が嫌いだったり、本音じゃ無いという意識がある)な概念」が自我の憲法とも言える超自我に属するため、自分の意思だけで(つまり「自我→超自我」という修正のプロセスは、自我自体には無い)、自分自身の超自我に干渉する事は非常に難しい。
ある意味「自分の道徳を撤回する」ワケだから、見かけ上「堕落」や「妥協」や「打算」として感じられ、超自我の修正につていは構造的に「受け入れたくない事だ」という反発や、アプローチ自体への疑問を伴う。(ここが精神分析時特有の自己防衛で、感情的な反発がしばしば起きる事も多い)
精神科医は「自分が医者である」という権威性(超自我が受け入れやすい「より高次」的印象)を、うまく象徴化に使いこの説得に努める事になるのだが、「被る」という受動的な在り方の中で、たとえこの説得が見かけ上成功しても、「より高次の超自我に、押さえつけられている」に繋がり易く、必ずしもリスク(逆に葛藤が温存される)が無いということは言えない。
◆「先生は信用できない」
これ一発で、その後成すすべ無しになってしまい、実際の話「その先生」の分析が中途半端なら時間稼ぎにしかならない。
だから「どう考えても思考に、こういう矛盾がある」や「この矛盾は何故起きたのか」について、いかに話をすすめていくのかが最も重要だと俺は考えている。(相談の形を取る事で、その内容を聞く側が同時に分析の内容を検証することが出来るのでリスクは少ない)相談する側にも構造的な防衛意識や不快感が伴う事もあるが、それは『葛藤』という構造自体の必然性でもあるように思う。
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