つまり自我は無意識とのバランスで流動的だからです。
しかし時制を限定すれば「性格」はあります。俺は特に名称には拘りませんが誤解を避けるために(一般のイメージでいう性格は固定的なイメージなので)「その時の向き」みたいな意味合いで、性格傾向とか人格構造とか自我構造とかそんな風に呼びます。
意味合いは「モチベーションの流れ」です。出口が狭いと流れが速くなり、出口が広いと流れは遅くなる。そして出口の概念が無いほど自由だと、流れというより「凪(ナギ、これ漢字あってますかね?)」になる。この流れの速度と感情の激しさは比例関係にあります。つまり「アリ」の多さと「タブー」の少なさが鍵になります。精神分析的には「何かが出来る能力の有無」はあまり関係無いのです。
出来る出来ないも大事ですが「出来ない」というストレスは「出来なきゃいけない」か「どうしても成功したい、という、モチベーション(加速度)」によるのであって、個人個人にとっては前述の出口の広さと相互関係になるワケです。つまり出口が狭いので「出来る出来ないが重要になる」って事です。
感情の激しさにいいも悪いもないので、問題になるのは、「全く出口が無い」とか「出口を無意識に閉じてしまう」ケースになります。
だからこそ性格傾向なんです。
なんと言えばいいのか、所謂「性格」って「ある状態」の事で、「そういう形」ではありません。一見構造なんて言うので建造物みたいですが、構造っていうのも「ある流れの状態」の理由っていう意味合いが大きいでしょう。さてそこで「凪(ナギ)」に話はもどります。これってほとんど実際の人格構造からありえない事です、これは「能動」の溜まり場である「カオス」まんまで再現性はベストですが、これじゃ行動できません。動機形成には「ストレス=ぶつかり流れが生まれる」による流れの方向性が必要だからです。これがまたアイデェンティティーなので話は複雑です。
次回は、「自分」という認識と「流れ」の関係を考えてみます。
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それは、硬い物では無くてグチャグチャと
柔らかくもなるだろうし、また時に硬くなる
不変で安定の無い物なのだろうなと思ったよ。
でも、ある程度の規則的な物が有るだろうから
その一時だけで考えれば、流動的なグニャグニャと
した物でも、形有るし、その形から次の形なす物を
ある程度は予測出来るのだろうなと思った。
そして、そのグニャグニャとなっている物の形に
イシなり、色々な物をぶつける事で
次の形なす物を少しずつ変えて行く事が
出来るだろうなと思ったよ。
でも、その形は常に流れている
川にイシを投げ込んで
その波紋から、流れの一つを
変えてやる事だから、中々に
推測がつきづらいのだなとも思う。
凪の状態ってのは不可能だろうけど
可能だとも思った。
結局、一時的な物なのだろうけどね
性格の部分的な物として、誰でも
受け止めるって部分も
安らかに留まるって部分も有るのだろうから
必要以上の物事を受け流す力
また、それを客観的に離れた観点から見る力
それを分析して、次に受け止める時に
最適な状態を作り出す力
そんな事にも、一時的な凪の状態は必要だと思うよ
それが、一種の座禅や何らかの
武道における
受け止める為の儀式的な
受け止めない状態なのじゃぁーないかと思う。
んむー纏まらんなぁ
まぁーそれでは。
実際瞬間に発生するもので、アイデアは当たりなのだろうけれど、瞬間芸に近いもので、これ即ち構造にあらず、な感じなのだよ。
おそらく秘訣は体感としての時制の停止であって(体感の時間の速度は刻刻違うので、これはかなり調整可能と見ています)やはり瞬間芸かと思います。
密教系の修行はトランス状態なので、凪というより、自我の擬似喪失作戦なので、これにも無理があると思う。
流れで肝心なのは、河川の形状がYES・NOクイズのような言語で形成されている事で、言葉で形成されたストレス障壁がなんつーか、流れの方向を決めているんだと思っています。
何を思うのか。
「常識を(特に自分の)疑え」作戦の方が、ダイナミックな変動を起こすと、俺は考えているのだよ。
自分の反対を行く事で
新しい道を進むことで、
色々と変える事が出来るけれど
たまには、その流れに身を任すのも
楽しいし
また、逆に流れるのに疲れたら
一時的にでも、とまってみるのが良いと思う。
うん、構造とは違って
それは、構造にたいしての技?
みたいな物だろうけど
そんな技、二三個持っているだけで
多少緩やかに、流れていけるんだと思う。
別に、技って固定観念じゃなくても良いと
思うし、逆に固定観念にしばられると
ダイナミックな変動を、束縛してしまうけれども
固定観念だから、こそやり易いし
簡単に、多少の修正を行うには良いと思うなと
僕は、思える。
「アクセントの必然性」
自然な流れで、平穏な日々が流れ行くなら
「必要なのは再現性」
保守、ですよ。これが『保守本流』
アクセントをなんらかの問題に対する細工、とした場合(つまり流量調整で河口堰のバルブを開けたり開いたり)「メンテナンスが必要」になってしまうのね。
むしろナイルの氾濫のように「時々破綻するのも自然だ」ともいえるからこそ、加速度とかは(個体差なので)問題無いっちゅうワケで、
意味不明の中洲や、どうにも動かない石塊や滝、これはあってしかるべきアクセントで「ナチュボーン」でしょ。
大事なのは「意味不明」でしょう、「別に無くてもいいが、あったほうが面白いかも」な線が『アリアリ』ですね。
つまり、流れを作り出す「YES・NOクイズ」が、流れを堰き止める汚泥みたいに溜まるとか、自我防御壁のダムがあらかじめ「出来上がっちゃってる〜」場合に問題なんだよ。
これ決壊させるのはおおごとなのでヤベェーんだけど、実は河川沿いに誰か住んでるってのじゃないので問題ないとも言えるんだわ
タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」じゃないが、存外河川沿いに暮らしている人々の幻影が障壁になってるのかも知らん。スゲーやばいですね「意味ありあり」でしょ。
形骸としてその人々の生活を守るためにダムがあるって事に認識されるので、余計にね。この辺は次回「本人の認識(題未定)」かなぁ・・。