(俺の知識が正しければアイヌ人は北海道から主として樺太に及ぶ、ロシアの少数民族も包含するアイヌ語を話す人の総称。)
日本なんざ渡来人は山ほどくるわ、古代でも大和の国は出雲方面のことだったのかも知れないし、やれ日本書紀や古事記的にはアマテラスどうこうは(神話なら宇宙からだけど)ぞこからか来訪し日本国を譲れと土着民にとかいう伝承だろ?
もうこの時には、東北には蝦夷がいて、いやいや本来は沖縄方面が日本人発祥の地とか(だから四国に有名な神殿がとか)、この多数の民族が平和な島国に辿り着き棲み分け共存した主として日本語話者のことを”日本人”と呼ぶのであり、固有の民族とか何の話ですかってことなのよ。
※この辺さ、ナチスのアーリア人(ペルシャ人とかインド人とか言いたいのか?)、現代中国の中華民族など空想上の設定と同じ。ロシアにしても多民族国家だから「ユーラシアに暮らす主としてロシア語話者(ロシア正教徒で)これをロシア人」というのであって、スラブ系と呼ぶことはあってもスラブ民族とはならんだろ(しかもスラブは西欧言語の奴隷の語源ともなっておりロシア人これどう思ってるのってのもある)。なのでウクライナ問題などの時に、「いやいや民族とかではなくて、ロシア語話者(暗にロシア人の意)」という話が出たのさ。←更にロシア人の定義から、ロシア語話者にロシア語使用禁止とか言ったら「そらどういう意味だ」になるワケさ。
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ここは日本人の定義として「主言語が日本語ですね」であることと相似。
つまり、日本語における外国人とは民族差別では無く、「日本語を話せない人ですね」の意味になる。よって「外国からの移民は困る」と表現する場合、「日本語ペラペラで(日本文化リスペクト)日本人より日本人みたいですね」な外国人は例外を意味している。
※事実、日本人は日本語ペラペラの外国人に親和性感じることが多いじゃん
話はナチスのアーリア人に戻るけど、
時に日本の右翼が言う日本民族などという空想は言わずもがなの選民主義になりがちで(いもしない民族を何故その論理に必要とするのかと)、日本で言うところの穏健保守がロシアと思考的に似通ったところあるのは事実なんだわ。
(米国などの場合、人口比的にも地域によってはスペイン語かもしれないし、古くはドイツ語地域なども存在していた。)
あんまりこの辺論議になっていないと思うけど、
ナショナリズムにおける(母国論とか)その国民の定義ってのは在り方にも関わってると思うのさ。
ということで、日本における保守論としては「主言語が日本語であることがとても大きい」のだよ(それこそ保守するべき伝統文化の代表)。
※ひょっとするとここには日本特有の(特定宗教の裏付けのない)緩い『共同幻想』の設立にも関係している事かも知れない。
(どういうことかって、岸田教授が呼んだ世間様教や、俺がジョークで言う”だよね”『共同幻想』っつーのは日本語じゃなければ成立しない概念かもしれないって話←だとすると主言語の意味がどこぞの国の宗教論議並みに大事な項目ってことになるじゃん。)←歩留り時代になっても、過去の『共同幻想』が世俗化して慣習に残ることは珍しくないし、保守論と慣習法は不可分なとこあるでしょ。
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