女性は社会的に差別されてきたが、男性のエディプスコンプレックスはその性別特徴から女性より強い強迫性があるってこと。←わかります?女性は社会的差別が解放されると、性別特徴として男性より軽めと論理的に想定されるエディプスコンプレックスの影響をあまり憂慮することなく全力出せるって話です(わかりやすく言えば男性より女性の方が『賢者モード』を保持しやすい)。
■ちょっとこの辺、『心理学』やら社会学的に『共同幻想』論として考えてみよう
原始時代から近代までの人類存亡の設定として、
男性の暴力による安全保障が集落なり、自然災害から力仕事の生産など不可欠な部分があった。極端に言えば「この男性を煽てて何でもするように仕向ける」事が生命線であり、
その梃になっていたのが、男性固有に強く影響を受けるエディプスコンプレックスであり、その派生にある女性に対する男性誇示的承認欲求(マチズモ)と言えないか?
そら原始時代やら封建時代、いわんや戦国時代だ欧米の中世だとなば、一つ間違えば明日は鉄火場で暴力の出る幕だし、力仕事の重労働や自然災害などはしょっちゅうだ。
生物学的に、男性は少々暴力的である必要性があったと言えるでしょ(社会進化論的にも)。
エディプスってのは、反動形成含め「元から過剰性欲に進化した人類ヒト科のリビドーを”盛る””煽る”ことができる特徴がある」のであり、
(昔のなんかの記事のコメント欄か記事リクであったかと思うんだけど、「重犯罪刑法犯の多くが男性である」←過激フェミが「男は死刑」根拠の一つ)
逆説で言えば、「人類ヒト科のリビドーを”盛る””煽る”特徴が求められていた」とも言えるワケさ。
●ここが環境的に大逆転始めるのが、近代の産業革命であり
(当時はまだまだ戦争の時代だったので変化は限定的となったが)
先進国化が進む、冷戦後
「女性の権利が守られることは常識になった(女性差別はほぼ消滅)」
少子化が進む中で、女性の社会進出への期待は労働力化年齢人口的にも必然であり(安倍首相が進めた「男女共同参画社会」政策は経済学的必然だった)、
※女性の権利と少子化は”ほとんど関係が無い”ので誤解のないように(米国の宗教保守派みたいな社会環境は日本には無いからね《同時にバブル前後で登場した”バリキャリ”も必ずしも女性の権利回復と関係が無い》)。
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