高度経済成長、猛烈サラリーマンの時代
大和魂とかは消えたかもしれませんが、サラリーマンをサムライに喩えるような生き様があったのは事実で(これが昭和中期まで続くマイホーム強迫:一石一城の主幻想プロパガンダ)、この流れの中に受験戦争の狂乱もありました。
素朴に考えてみてくださいよ
「戦前戦中の狂乱社会とどこが違っているのか?」
軍国主義がエコノミックアニマルになっただけで、モメンタムは同じだったのではないか?
そ も そ も が
バルチック艦隊を全滅させるほどの大戦果が無ければ、本当に日本は欧米列強の植民地になったのだろうか?(しかも帝国海軍の軍艦は確かこの時全て英国製ではなかったか《現在のウクライナに重なるとこあるでしょ》)
確かに大東亜戦争によって欧米列強を日本が倒したことが、アジア各国の植民地からの独立の背景にあっただろうことは事実だと思いますが、経済学的に「植民地の運営は赤字だ」という論文出してる学者もいるぐらいで(一部豪商の利権になっていただけで)、欧米列強各国がそれぞれ民主主義化や先進国にテイクオフする中で、植民地の解放は自然現象でも起きたかも知れない(とち狂ったウィルソニアンがいなくなったとも思えない)。
明治維新すら、その双方に武器を売ったのがユダ○の商人とも言われる中で、
徳川慶喜がちょっとマシな人物なら、違った保守系の未来があったかも知れない。
日本の成長が緩やかななら、日露もWW1参加も無く、米国に敵視されることもなくWW2を迎え、朝鮮戦争の時のように米国艦隊を支援するだけの帝国海軍の姿があったかもしれない。
■さて、明治維新がロシアを追い込んだ陰謀「カラー革命に類似したもの」だったとした場合、
その後の日本の軍国主義は(ここもどことなくウクライナに似てると思いませんか?)、過激な民族派が煽られてやり過ぎた結果ともいえる。
この辺同時進行で何が起きていたのかって、殖産興業で(繊維業のその機械も外国から買ってないか?)農家から少女たちを大量採用し、男子は兵士に動員され、、(朝鮮併合に金がかかり過ぎて不作の時には農家の娘が女郎屋に売り飛ばされ《2.26動乱が起きた理由》)
戦後この流れが本当に変わったのか?
高度経済成長の中、農家の働き手は出稼ぎ労働者として動員され、、
ほらな、なーにが少子化ですか。地方の世帯や習俗ってものにストレス掛けて破壊し続けてきた。
(国は牧歌的なのんきな農業世帯がのびのび暮らせる地方ってものをまず最初に目指すべきだったのではないか。)
※現代になって、左翼のインテリが「田舎で農業」とか言い出して地元民にいびり倒される図は皮肉でしかない。
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