そして今回のお題は以下
・(好きや趣味ではなく)ブランド物などファッションでカッコつけるのはコンプレックス持ちの証拠
・やれ美人美人とか言うのは、”性の嫌悪”を超越するマチズモやヒーロー願望から
(そもそも実行為と外見にはほとんど関係が無い《生物学的インセンティブはまた別》)
・ルッキズムや、現代人の総合的な外見重視の違い(これは個性の確立示唆)
■前々回でしたっけ、ヌーディスト村の話しましたが「アパレルとはその反対」ですよね。
(・《好きや趣味ではなく》ブランド物などファッションでカッコつけるのはコンプレックス持ちの証拠)
趣味性の無いブランド志向は「権威の衣をまとう」ですから、(ネイキッドの符合をバカっぽく言えばヌーディスト村だとした場合)”性の嫌悪”の反動ってことですよ。←”適応者”達も「裸の付き合い」とか言うでしょ(=親しいを示唆)。
コンプレックスの基本属性が幼児性不安ですから、”性の嫌悪”には劣等感のような要素も結合しやすいんでしょう(なので”大富豪のお嬢様”のような記号も重なってきたりする《ブランドものの服が必要なイメージ》)。
この逆説が「趣味性高い個性的ファッション」となるので、こちらには”権威性がないことが条件”という暗韻があるのかもしれません(カジュアル系)。
■ヒーローになれば”聖女”のような、嫌悪世界から解放される性が約束される幻想
(・やれ美人美人とか言うのは、”性の嫌悪”を超越するマチズモやヒーロー願望から)
《そもそも実行為と外見にはほとんど関係が無い(生物学的インセンティブはまた別)》
美人というキーワードに(アイドルがウンコしない都市伝説のような)嫌悪すべき恥部が一切あり得ないみたいな漠然としたイメージが無意識に存在すると思うんだね(それは=市井の女性に対する差別でもあるでしょ)。うんで、救世主のような存在になれば「きっとそんなご褒美がある」空想に繋がる。
ある意味ヒーロー願望なんてのは、”性の嫌悪”の裏返しなので、
「ガキの発想」とか言われちゃうんだと思う。
リアルに英雄とか呼ばれる人物は「普通にやるべきことやっただけ」のような感覚だと思うので、男性達に願望視されるヒーロー像なんてものがあるなら、それは既に現実から乖離しているのだろう。
(※”性の嫌悪”が無ければ「たかが性行為」→”適応者”言うところの《親しければあり得る》「裸の付き合い」の一種)
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