「メジャーリーグでも高めのフォーシームがトレンドだから、ここは高めフォーシームで勝負」(リベラリズム)
「いやいや、ちょっと待てって気持ちはわかるがリスク高いから」←この捕手の判断が”保守”ね
(そもそも米国はバレル理論でアッパースイングが多いからだろ。目の前の打者は日本的レベルスイングまんまじゃんか)
投手が最先端の攻略法などを試したくなるのは間違いどころか正しい。ゆくゆくそういう時代もくるし、これまで自分が試していないぐらいだから打者も予想していない。
根拠はアレかも知れないが投手の選択のが結果もいいかもしれません。
しかし前例が無いんだから(過去のこの打者は外角スライダーで普通に打ちとれてる)、新しいことを試すのはいいが、「やるなら点差に余裕のある時とか、ツーアウトランナー無しの時とかでいいじゃない」←これが保守
「また、外角スライダーですか?打者にもバレバレで選球眼が厳しいんです。最近は見逃されてカウント悪くするばかりじゃないですか?」
「だからさ、次は外角低めの直球で」←”そこは折半で”:保守的思考の王道”
「わかった、外角フォーシームですね」
「ああ、それでいい。バテててコントロール自信なかったらツーシームでもいいぞ」(オルタナティブ)
■この場合の右翼ってのは(ライトのポジションじゃネーぞww)
「ダメだ、高めはストライクゾーン外した釣り球に決まってるだろ。投げたいならしっかり高めに一球外せ、できれば内角に外れるほうがいい。そこからスライダーだ、偉そうに反論するなよ、わかったな」
(ここからは時代の流れに追随する要素が皆無でしょ:「成長する要素無し」:ある永劫回帰)
文明の進歩は(あなたが未開の少数民族でなければ)不可逆的なのであり、
文化人類学や社会学なんて学問のある国なら”ほぼ確実”だから(時代変遷による世俗化やリベラル化は設定のようなもの《世俗化と”慣習の文化伝統化”が同一線上であることも鍵》)、健全な保守のポジションはブレーキ役を超えることは無いのだよ。
(それを超えたら”時代に逆行”となり、「社会的退行化」みたいな話になっちまう。)
先進国の保守は”緩やかな保守”でちょうどいいのだよ。
(顔真っ赤にして激怒したり、左派リベラルが全員売国奴に見えたらそれは右翼症だ。《グローバリストは売国奴だけどね=”アンチ国家全体主義のことだから”》)