さて、今回からは「話を個人に置いて」考えてみよう。
※本来はその本質を言い当てられたらいいのだろうけど、正直に言うけど俺の力量だと「まだ発見できていない」のだよ。そこで弁証法的な手法から、考えられる対立概念を次から次と例示してそこから見えてくるものを引き出してみよう。
さて、第一回目はこの辺から(いくつか対立関係にある項目出してみる)
・『賢者モード』と「欲におぼれた間違い」
・恥ずかしがり屋と”性の嫌悪”→その反対は堂々としてる大人
・非モテのコンプレックスは”性の嫌悪”を美化(浄化)できてないから
■何故浮気は間違いだとか言われるのか?
(・『賢者モード』と「欲におぼれた間違い」)
変だよね?『賢者モード』が、本来の自分なら、
大人になるってEDになることか?(はたまた玉取って宦官にでもなれと?)
そもそも人類ヒト科の過剰性欲進化は、性行為のためじゃネーからな!
生き残るための過剰にも思えるモチベーションに替えるためであってだな、
生物としては過剰なリビドーが無いと42.195Kmも走れないんだよ、、。
性欲=性行為という錯覚がこのネタバレ(違うから、、)
浮気を矮小化したモデルで語ると
「体重管理で今日もタンパク質中心のっと、、、」
(コンビののレジ横にふわっふわのワッフルが売っていた)
「こ、これもください」←ということだろ?
時にこういう現象も「弱さが出た」なんて言うけども、それも人生だろww
(そんなところにまで”性の嫌悪”モデル出すなよって)
■何故恥ずかしがり屋は、弱い奴のイメージなのか?
(・恥ずかしがり屋と”性の嫌悪”→その反対は堂々としてる大人)
本来シャイで無口が弱者の筈がなく(高倉健やBAND-MAIDのMISAさんはどうすりゃいんだ)、単なるパーソナリティーに過ぎないのだが、心理的に「恥、恥部」の連想から、このイメージに”性の嫌悪”が無意識に被ってくる。
「何やら自己紹介でまごまごしてるオタク」など(見てきたんかと)勝手なイメージが先行し、
これが俗説の”コミュ障”にまで波及している(いつから米津玄師がオタクの弱者になったんか)。
これは単なる”性の嫌悪”を多く所有する”適応者”特有の先入観で、
(自分が恥部を嫌悪の対象みたいなことにしてるからよ《若い人は知らないと思うけど、その反対イメージが「コメディアン、ケーシー高峰のエロ漫談」》←嫌悪からの解放《破綻》を笑いに変換)
「お前がな」って話なんだわ、
シャイで無口なんて言ったらJAZZの帝王マイルス・デイビスだってそうだろ、
そもそも連想先の”コミュニにケーション上手な陽キャ”が、性の嫌悪解放者かって全然違うのであり、このイメージは「そういう人は幸福な結婚もするだろう」から転じて、”浄化できる人”(俗にいう”いい人”)みたいな勝手な連想になってるのであり(事実はそうとは限らない)、
だから「一見”コミュニにケーション上手な陽キャ”な人が不倫するとすっげー叩かれるのさ」
※こういう時に、「イメージが壊れた」とか言うけど、勝手に何のイメージを投影してんだよって話
確かに社交的な人格傾向が、性行為の可能性を上昇させる一面もあるのかもしれないが、
「いやいや全然関係ない話だろ(単に話の上手い奴ってだけだから)」
”性の嫌悪”成分の多い適応者特有の勝手なイメージですよ。
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