https://kagewari.seesaa.net/article/505714995.html
(今回から、話をシンプルにしていこうってな趣旨でもある《まだ政治編だけどね》)
保守系論壇の”ゆめラジオ”さんって方がいらっしゃるのですが(”もぎせか”対談などもあり)、飯山氏の動画関連の話で「確かに懐古主義保守派は(過去を保守するなので)論者に女性差別的意見もってる人が少なく無いだろう」と素朴な話をしてました。
<さて、この話の解説は簡単です>
何もですね、(適合主義的な『共同幻想』適応自我の意識に本音も何もありませんが)本気で女性蔑視など彼らも思っていないのです。なので「女性差別ガー」とか非難されると猛反発したりするでしょ?
■『心理学』的に「どうしても無意識にそう強迫的に思ってしまう構造」がある
ここは”性の嫌悪”で考えれば話が早いんです。
男性の浮気や不倫によく聞く台詞にこんなんありますよね?
「間違いを犯した、”欲望に負けた”」
あれ? 性的な魅力も持ってる女性は それだけで悪なんですか?
(なんか某宗教にも類似の解釈ありますよね)
そんなワケがネーだろww
(どうすりゃいいの、米国リベラルの発狂4B運動《韓国フェミの模倣とも噂のある》しろってか?)
↑
わかる?ここで嫌悪の対象とされているのは”女性の性”だよ。
すらーっと、「なるほど転じて女性差別史観になるのか」わかります?
(つまり『賢者モード』の反対を象徴するもの)
●これですね、とどのつまりが、
「男性における”性の嫌悪”(悪く言えば幼児性)」←これが原因だから
女性差別とは、それが投影されたものなんだわ。
(近代における”家幻想”の母親に対する聖母視イメージもこの関連《古代の神官つーか少女のシャーマンや巫女さん処女信仰なども関連フラグかな》)
なので、歴史的経緯もクソも、「保守主義者にはそういうのあるんだよね」とか言っちゃダメ。
こういう表現は不謹慎かもしれないが、
(みなさんさ、欧米に時々発生するトンチキなヌーディスト村とか「バカだな」とか思ってる人いると思うんだが、いやいや簡単な話じゃネーんです。《日本かて温泉の混浴とかあるじゃんよ》)
素っ裸のフルチンで、堂々としていられる”NO性の嫌悪”な男には、構造的に女性蔑視は発生しない(そのアイデアが無意識下に構成されない)。
※過激フェミには「”男性自身”それこそ暴力の象徴なのでちょん切れ」なんて暴論もありますけどねww
■近代以前全ての歴史に女性蔑視があったというのも”違う”と思う。
日本の道祖神信仰や、縄文時代の埴輪などの資料からも(現在の推定は豊作だとかの象徴ともされてるよね《これ類する信仰がアフリカの前近代少数民族の暮しについこないだまで現存していたりする》)、「性の嫌悪などなくおおらかな時代」が類推されていたりするからだよ(そんな昔の話確認しようがないけどさ)。←素朴に思うけど、それが可能だったのは文明のレベルとしてアパレルから住居含めて、ヌーディスト村みたいに「隠しようの無い時代だったから」からではないだろうか。
●これはひょっとして?ちょっと面白い展開なので引き続き考えてみたい。
(なんかドエライ関連事項の数になりそうだ)
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