「特徴」とコンプレックス
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起きているのは「何でもかんでも被害であるという認知」であり、
『心理学』無知ある第三者がその様子を見ると、妄想としか思えないという話。
(偏った認知も認知だが、それが妄想としか思えない側もたいがいだ)
■話を原理原則に戻せば
主体的『抗う(あらがう)』認知で「これが俺の特徴だ」(個性)と主張するものは、どんなネガティブなネタでも自慢話になる。
これに対し、
受動的『被る(こうむる)』認知で「いつもそう”言われる”」などの認識は、どんなポジティブなネタでも全てがコンプレックスとなる。
後者がそれを人に話すと「全てが被害話」になるのさ。
『心理学』に知見の無い一般人がその話を聞けば(あまりにもあり得ないので《どこに被害があるのかすら理解できないこともある》)、妄想としか思えないって話です。
■話の根本は『被る(こうむる)』認知さ
何でもかんでも主体性の反対と考えなくてもいいと思うが
ざっくばらんに言えば、強迫的、依存的、受動的(或いは影響受けやすい)、やむにやまれぬ事情がある(失業中にやっと見つけた就職先など)、などで起算された行為の時に、発生する自分の風評(噂)や評価は「ほとんどが被害的に認知される」ものなんです。
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だって当事者にはいわれなき事情でその場にいるワケで、何を言われる以前に立ち位置が既に被害(受動系)だから。
※もっと端的に言えば、他人に強引に勧められて参加したパーティーで何かいいことがあっても釈然としないというか「なんだろうな」ぐらいにしか思えないのです。自覚的な行動ではないため、何が起きても全部想定外ですから。
(この現象は、強迫的な参加でも依存的でも起きる。)
「え?だったらギャンブル依存諸は?」←これな、アルコール依存症で考えると早い。
アル中が陽気に楽しく飲んでる図思い描けますか?
ギャンブル依存症もその最中、目が座ってそうに思いませんか?
(もう飲む《やる》しかないんだと、)
だからギャンブル依存症は負けたことを理由に止めることができないんです(アル中も健康を害してもやめられないんです)。←変でしょ「儲けるの楽しくてギャンブルしているなら(そんなギャンブルありませんが)、負けることはもうやめたと投げだすほど不快な筈です」。
※勘のいい人ならわかると思いますが「快・不快原則」も関係してます
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いやむしろ、今回の法則から言えば
「何をやっても負ける不快しかあり得ない(被害しかない)」とわかってるんです。
好きでやってるのではなくて、依存症ですからね。
ある意味、中の人は「自分を被害者だぐらいに思ってる筈です」
(或いは、自分ではもう止められないなどの体感)
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