実に面白い動画があってだね、あれこれ調べてみるとヤバイヤバイ、興味ある方は『三代目襲名』、『山口組三代目シリーズ』などで検索していただきたい。
※高倉の事務所があった都内のマンションロビーで、その筋の出入りがあったのか、拳銃発砲事件が過去起きたことも”なるほどね”と(ここ私の好きなマンションですけどね)
戦後日本を語る上で(そら原作が山口組田岡組長自伝なので)脚色や事実と異なるものもあるだろうけれど、一方の側の論理と言うか伝説がどういうものだったのかを知るとっかかりにはなる。
(俺は神奈川の暴力団や暴走族にも、米軍の存在抜きに語れないとも考えており《半ば公認売春街赤線などには米軍向けの側面もあり、後に地元の名物となる進次郎も選挙戦で着ていた”シャカジャン”が、今在日米軍のおみやげとして人気なのは皮肉と言えば皮肉》、戦後日本が一時期無法地帯であったのは知る人ぞ知る話である。)
<以下紹介する動画《映画の要約》を肯定するものではないし、差別表現や現代では反社とされる暴力団を肯定するものではないことは、事前にお断りしておく>
※当時から上映禁止運動などもあったようだが、現代放送禁止なのは言うまでもない
ではごご覧いただこう
山口組 vs 在日朝鮮人のバトル【実話映画・1945年・終戦後の日本・朝鮮進駐軍・田岡一雄・高倉健・三代目襲名】
https://youtu.be/kUr3nTFCQi4?si=BuUGlAJXTzr6bx2J
コメント欄の「田岡組長が神戸の一日署長やったことがある」書き込みには笑いました
(wikiによると消防署の一日署長やね)
但し田岡組長の子息は(芸能事務所や日本港運協会副会長)取り消されたが、春の叙勲で黄綬褒章受章が決まっていたという(wiki)。田岡氏は戦後の右派フィクサーのひとり児玉誉士夫とも近い。児玉と敵対していた右翼とも呼ばれる田中清玄(元戦前共産超中央委員からの転向)とも仲が良く、子息の結婚氏媒酌人はその田中清玄である(wiki)。
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