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https://kagewari.seesaa.net/article/503792631.html
思う以上に本人が自分だと定義してるものは些細な選択結果の結果や分岐の行き先であることがわかる。しかし、外部がそれを認識する時ってのは「わかりやすい特徴」から視覚情報に入るよね。
(脳の現実認知はボケっとしてる”無意識状態”だと、情報伝達速度に比例するので視覚情報が優先される。)
「なんとかさん、背が高いよね」「なんとかさん細いよね」「ナントカ課長はハゲだから」「なんとかさん髪黒いよね」「誰君は声低いよね」、、、、そのままあだ名のネタになったりもします。
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■ふと思いませんか?俗に言うこの身体的特徴は(自分で選んだものでは無いので自覚的には誰しも『被る(こうむる)』系認知になるため)「ほとんどが当人にとってはコンプレックス」になるんです。
(記事リクで以前大変な事になった「ブス《附子》ガー」思い出してください。今回の論議はそこをひも解きます。)
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■これに対して(ここで先日の記事アイデンティティー論)
「髪型ツーブロックなんだね」「髪染めたんだ、その色いいね」「課長髭似合ってますね」「ひょっとしてジムとか通ってます?」「洒落たバッグをお持ちですね」、、、場合によると”その人物を語るトレードマークになりませんか?”
そして俗に言うこの個人の趣味は(全て自分で選んだものなので自覚的には誰しも『抗う(あらがう)』系認知になるため)「ほとんどが当人にって、自慢の”○○だろ?”」になるんです。
ほらね、だから些細なアイデンティティー論を規制されると、当人のメンタルがダメージ受けるんです。
(せっかくの『抗う(あらがう)』系が『被る(こうむる)』系にダウンすればそれだけで鬱ポイント+10)
た し か に
「お前野球選手だろ?試合も出て無いのに鏡の前で髪型チェックしてる場合か?」←これもよくありますね。【その意図は何か】
■上記のネタバレは簡単で(一種の『共同幻想』合理性認知でもあるんだけど)、
「もっと存在理由(レーゾンデートル)に近い選択肢が目の前にあるのに(自己存亡の緊急事態に類似)、今”日常の(平時の)些細な(ほのぼの)アイデンティティー論”をやってる場合か」
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これはアイデンティティー論というより、現実認識レベルの話なので別論議なんですよ
たとえばね「震災で大変な時なので、○○とか言ってられない」(いかにも『共同幻想』合理性認知でしょ)。
なので、前述の野球選手への苦言の定番台詞は「真面目にやれ」なんです。
この意図は
「真面目に(或いは真剣に)『自意識』立ち上げて状況見ろ(平時では無いから)」
■さてここで、些細なアイデンティティー論に戻ると、
醒めた目の批判派論旨が「学生の本文は勉強だろ、真面目にやれ」だということがわかります。
この台詞が説得力を失ったのは、現代の義務教育が自己の存亡に関わる重要事項ではなくなったからです(しかもテストの評価法からして「これがマトモな勉強か?」の疑義もある)。
学校生活が「豊かな時代の平時になった」んですよ。
そこで、何かガツンと集中力を喚起(『自意識』立ち上げさせる)するには、プロ野球選手にとっての試合のような状況(個人が本気で関心もってる授業など)の設定が先で、
「アホみたいな記憶しただけで高得点」みたいな(しかも誰もが知ってる常識レベルの内容で)構成じゃ、野球選手にとっての試合みたいなインパクトはありません。
(中間テストなる概念の重要性が昭和時代の10分の1ぐらいになっとんのさ)
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