https://www.tokaigakuen-u.ac.jp/academics/news/detail.html?id=1183#:~:text
<冒頭部分引用>
「イメージ」(image)という語は、もともとラテン語の”imago”(=英語のcopy)由来の語だが、たとえば古代ギリシアの哲学者プラトンによれば、「真・善・美」そのものである「イデア」の「コピー」が自然の事物、そのまた「コピー」すなわち「コピーのコピー」が芸術作品ということになる。そして芸術作品を生み出すのが人間の「想像力」であった(ちなみに自然の事物は「イデア」をモデルにデミウルゴスという神が製作する)。つまり「真・善・美」をとらえる「理性」(場合によっては世界全体の「理性」ということにもなるが、さしあたり人間の能力)からみれば、その「真似」の「真似」、二番煎じ、三番煎じ、つまりは本物に対して偽物、まがい物を生み出す下位の劣った能力が「想像力」であった。
リアルに対しての”リアリズム”
悪く言えば
ファクトに対しての”フェイク”
人間は(てか生物ってのは)あらゆる情報を一度電気信号に変え、脳内で映像作品の用に再構成しそれを認識する(認知に関して資格情報がもっとも速いため、認識の多くを支配するとも言われている)。
そして見たものを何か?と理解する上での”ものさし”みたいなものがイメージだ。
「なになにって言われても、にわかにイメージできない」
●その反対なので、「イメージできる≒認識できる」だ、
勿論、リアルな現実をダイレクトに生物が認識することは不可能であり、「リアリズム(”現実らしさ”)」によりその認識の合理性を担保するまでが限界だ。
想像力を絡めて言えば「想像できないものは認識できない」
つい先日、アニメ化が大好評だった『フリーレン』に「イメージできないものは魔法でも実現できない」って法則でてきますけど、似たような話です。
他にも
「それってこういうこと?」←って言葉だと、既存イメージを応用しているのがわかりますね。
逆説的に言えば、想像力が豊かだと様々な事象を広く認識可能になります、
反対に、想像力に乏しい人は現実の僅かな情報しか認識できない。
しかも、大事なことはこのイメージってのは、”現実らしい””もっともらしい”現実のフェイクであり、模倣や模写に過ぎない。
※想像力が豊かだと複数のイメージを駆使して「脳内シミュレーションも可能になる(想像したものを実像や構造図を見るように認識できる人は”工学系脳”とかなのかな)」
■自我に「強迫心理」の設定がある場合(これ道徳野的な超自我領域に君臨しますから)あらゆるイメージがこの「強迫心理」にぶら下がる下層概念になりますから、
どんな現実を認知しても、「強迫心理」と整合性のある現実に編集されます。
これが俗に言う”フェイクニュース”
あたかもマスメディアのデマに振り回されるかのように、現実認知が偏向するというものです。
「え?君のそれってどんなイメージ?」→翻訳すると「君にはその現実がどう見えてるの?」
(生物は、イメージを通してしか現実を認知できませんから、現実との繋がりを維持するには”現実らしさ”を担保することしかできないのです。)
非現実的なイメージや、最初から偏向フラグのあるイメージの事を「色眼鏡」と呼びます。
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