夢を”そのまま”実現したいってのは論理的に不可能です(だとすると本当の意味は?)
https://kagewari.seesaa.net/article/503024595.html
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歩留り階層は、常識的結婚を志向する”適応者”の婚姻は「”その全て”が本当の恋愛対象では無いと考えている」ってことです(構造的に考えるとそういうことになるため→彼らはまず「縁談です」の答えは違うだろと考えた)。
歩留り達は、本能的に「そこからズラせば恋愛が結婚にという道筋があるんじゃね?」と思ってる
※若干R20だが、避妊する性行為などが習俗的に関わっている(この暗韻が「結婚制度をダイレクトに意味しない性行為《ここに恋愛論が被ってくる》」:米国における「ウーマンリブがピル解禁運動だったことや保守派の中絶論争」も交えて考えるとわかりやすい《その性交はプライバシーとしての恋愛か?、社会制度として婚姻制度の一部なのか?》)
はたしてそれは可能なのか?
そもそも論として、話の始まりの『単独者』同士の痴話げんかというか色恋沙汰の大騒ぎ当事者が、事を恋愛なのだと思っているのかと言えば怪しいのであり(怒涛の人生一断面「そんな時もある」)、
●個人的に「恋愛を発明したのは紫式部」と考えている者なんだがww
最低条件その登場人物は『単独者』なのであり(自由意志の「抑圧」皆無で本音明瞭じゃないと不可能であるため《だから古代の”恋愛なのか性愛なのかドラマ”の舞台は神話や王侯貴族の話になるのさ》)、
この話の結論は簡単で、
「いやいや覚醒歩留り諸君(君達本籍は『単独者』なんやで)、『単独者』になるのが先だよ」
歩留りによる”緩やかな保守性”的に言えば、「結婚制度撲滅」みたいな左翼的発想は論外になるので、「結婚するなら”事実婚”、よく考えれば社会適応の一種である結婚と恋愛は無関係」とかの話に落ち着くのが自然だろう。
※「よく考えれば社会適応の一種である結婚」←ここに異論ある方
全然普通の話だから、
性交と不文律(実際の行為を示唆してません《性対象と認識される関係の意味です》)の関係にある「恋愛」はド・プライバシーなので(人に見せるものじゃ無いでしょ)、社会的合理性に適応したらその段階でプライバシー侵害じゃん、そんな矛盾する行動は論理的に不可能なのだよ。
なんつーかな、半分皮肉ですが「本物の恋愛が(などというものがあるのならば)”社会適応行動の一種である”結婚に至るワケが無い」
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