(どういう読解なのかしら)
>矢沢あい氏の漫画は絵やファッションが可愛いとか恋愛話がキュンキュンくるとか恋愛バイブル的な感じで若い女性から人気でした。20代はわかりませんが、アラサー〜アラフィフ世代で支持されてると思います。天使なんかじゃないも主人公の親友は一匹狼的でしたが、高校卒業後はイギリスの留学に行くことを決めた時に「主人公みたいな友達はできないかもしれない。昔は一人でも平気だったけど今は主人公や恋人、皆がいる。一人になるのが怖い」的に言ってました。あと主人公は女で、一人暮らしをしたのは主人公の恋人です。
(だからさ俺は読んでないのでwikiの設定だけで類推したものだと言ってるじゃん《細かいディテールに齟齬はあるだろうさ》しかし大筋は外してないと思うぞ)
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■ひとつwebの論評な(矢沢あいさんマニアのライターさんなんでしょう)
少なくともあなたより深く読解されている熱烈なファンの方かと思います。
矢沢あい「私達の心に寄り添う」その絶妙な表現力
矢沢あいの作品を通して私たちが学んだこと
https://toyokeizai.net/articles/-/610862
<一部引用>
どれも誰しもが一度は憧れる夢のような舞台設定だ。実際に筆者の周りでも、『ご近所物語』の世界に憧れて服飾専門学校へ進学する人も多かった。
一方で各物語のキャラクターが過ごす世界は、「少女の憧れ」が詰まっているものの、現実的な部分もしっかり描かれている。主人公や周りのキャラクターを含め、理想と現実の厳しさにもがきながら成長している。好きな人と結ばれてハッピーエンドという、単純な少女漫画の王道ラブストーリーではないのだ。
また、矢沢あいの作品では、大人になるための精神的な「成長」の過程や、夢を叶えるために必要な「覚悟」がしっかりと描かれている。キャラクターの表情からにじみでる細やかな心理描写や、心から湧き出る素直な言葉たちは、すべて名シーンとして心に残っている読者も多いのではないだろうか。
例えば幸田実果子がデザイナーを目指す『ご近所物語』のラスト(第7巻)では「手に入れたいのはハッピーエンドではない。鍛えぬかれたハッピーマインドだ」とつづられている。この言葉からは、矢沢あいが描く物語を通して主人公たちが得る「強さ」を感じる。
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彼女の創作テーマは自立の物語じゃんよ
●で俺は読んでいないので、あなたのあらすじを解説しましょうか
天使なんかじゃないも主人公の親友は一匹狼的でしたが、高校卒業後はイギリスの留学に行くことを決めた時に「主人公みたいな友達はできないかもしれない。昔は一人でも平気だったけど今は主人公や恋人、皆がいる。一人になるのが怖い」的に言ってました。
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「嬉しいじゃなくて、怖いだろ?」←作者の意図を読み取れよ、、、
(つまり「友達の大事さを教えてくれてありがとう、英国でも友人つくっちゃうぞ」では無い《社交性キャラでは無い》)
この意図は『単独者』が恋愛事情に”巻き込まれた””抜け出せなくなった”というところから、主人公女性の実存を証明しているもので、←【ここのどこに明るい社交性とやらがあるのかね?】
『単独者』が抜き差しならない事情から、関係性を持ち(ある意味弱くなる)自らの個性を削られることでそこに誰かの居場所ができる。←同時にこの傷を与えた者にもその責任が生じる。
(恋人関係ってのはツーマンセルの『共同幻想』だからな、『単独者』としては以降弱点となる)
どうにも切るに切れない腐れ縁って奴だ(典型例「戦友」)。
【どこに”みんなの人気者で明るくて社交的”な社会適応の世界があるのかね】
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あのさ、この表現が何を意味しているのかって、
主人公の女子がただの”適応者ではない”ことを(美術部創立など自立性と個性の発現を見せ)、『単独者』の彼を鏡像に見立てて主人公の成長を描いてるのさ。
「あの彼を削ったのか」と(「僕の負けだ、君に一本取られた」って奴です)、
(それは物語の構成上、”彼の影響もあって”という流れになっているのだろう)
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