考えようによっては面白いものです(心理学でいえば「行動療法だ」)。
経済均衡論で考えても、健康意識などで考えてもいろいろ展開しようがあってだな、
「安売りのほうれん草をゲットしたのだから、ステーキ肉でもいっか」
「今日は十分にカリウムを接種したので、晩御飯は遠慮なく塩を使おう」
↓
とか展開していくとだ
↓
「10キロ走してるから、ケーキのひとつもOKだろう」
「これだけ残業したからには、今日の晩酌は少し多めに」
「掃除洗濯した日には、ピザを頼むことに決めている」
「マシン(PC)の整備をしたらからには、youtubeでも観るか」
「千本ノックの翌日は、夜の街にくりだすことにしている」
(ブラックジョーク交えて言えば)
「今日は火の用心やったから、花火でもするか」
この延長に、
「酷い鬱症状があるので、あー今日は腕立て伏せ50回」というアイデアがある
口語調で言うと、「一日一善で暗黒面もほどほどに収まる」ってな話です。
(一種の免罪符のように使えばよろしい)
※反動形成レバレッジの逆手を取ることになるので「反動係数分の1の過少な働きかけでも=係数倍の欲求を代謝(消化)できる」ため、お得に状況をいくらか楽にすることができる。
「そんなことしても無駄だ、何が解決だって、、」とか言う人を捕まえて
(理想言えば恥ずかしいレオタードに着替えさせてだ)
「そんなこといわず〜ぅ無理でもなんでも、ハイ、1,2,3,4、1,2、3,元気出してー、ハイ1,2、腹式呼吸で〜」とかやると、いい汗かくことから逃れられるものはいないのです(笑
少なくとも悔し涙の意味は違うものになる
<話を一日一善に戻すけれど>
それを善行だと意識するといいよ=意識しないとやらない=自然な欲求には無い
(あれれ、”いい人コスプレ”しようってアイデアか?《性悪説?》)
上記の構造も事実だと思うけれど、
考えてみようぜ、時に人間の欲求はドスグロだから(どこかしこに反動形成や強迫心理が渦巻いているものだ)対峙する『自意識』としては我ながら戸惑うことも少なからず。
昔々の構造論に登場する「脳内には天使と悪魔がおって葛藤している」モデルから言えば、どちらも自分だろって(それは善行だと思いついているのは誰か?《それも自分であり、心理学的に言えば『自意識』を主体と定義しないと、お前は誰だってことになっちまう》)、
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