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所得に対する欲求が各個人で「比較にならないほど差がついているように」一歩間違えばナンボでも”見かけ上”肥大化する。
この”見かけ上”ってのは、経済学における「グロスと(額面上総量)、ネット(実質)」の違いそのままで、「デマに踊らされてトイレットペーパーの在庫が無くなったり、価格が何倍にもなる現象」として知らている(不安からトイレットペーパーの需要《必要だと思う量》が見かけ上何倍にもなる)。
心理学が「反動形成」を重要視するのは「強迫心理」設定と容易に結合するからです。
■トイレットペーパーの場合も「不安バネ」(ひとつの想定)が効いて、必要以上の需要になってしまう。「反動形成」の場合はベタに言えば賠償とか考えるのがわかりいいだろうが、【代償満足の法則】が効いてると考えるべきところかと思う。
「何々が得られないなら、何々が三倍とかでなければ釣り合わない」
心象風景の極論で言えば
「何々が得られないぐらいなら、もう何もいらない(それと釣り合う交換可能な価値など無い)」
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ここに至ると、初期的欲求が無限大に肥大化可能だってことですよ。
もっとベタな事例で考えましょうか?
→ええ、「恋愛幻想」で考えるともっとわかりやすいでしょう
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「誰々と交際できないから、代わりに誰かと交際すればいいとか無い」
恋愛ドラマなどのめんどくさいシーンなら?
「誰々と交際できないのなら、死んだ方がマシだ」
(生命の価値は俗に2兆円とも言われますが《臓器などを製造する場合の単価》、どこぞの誰かと交際する価値が2兆円にエスカレートしたことになります。《それは物理的にあり得ない》)
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※※※ここで究極大事なことがもう一点※※※
「誰々との交際は2兆円」なんて感覚になってるのは”そいつ個人ひとりだけ”ってところです。
赤の他人や第三者から見れば、「端的にその状況が狂ってる」
個性化や趣味性で「人類にとって2兆円」だとか「何々道にとって普遍の価値」だとか「歴史上不朽の価値」などと”論じられてるのとは違う”。
【前者は単に個人の自我が”どうしてもそう思ってしまう”というレスポンスに過ぎない】=中身が無い(デマでトイレットペーパーの価格が20倍になったような話と同じだってことだよ)
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