心理学はネタバレ崩壊屋の側面あるから
「余計なお世話だ」という声も聞こえてきそうだが、事情が事情なのでままよで進めます。
現代少数派に転じ、「最低でも歩留り」階層からやれDQNだ田舎者だブラックだと揶揄されている”適応者”(合わせる人)ですが、彼らの人生は過酷なものであり(常識的に考えて「体育会に入部」することが安易な選択と思う人おらんでしょうに)、彼らと緊張関係ありつつも和平的な関係維持するには、そんな彼らの人生に対するリスペクトが必須です。
※最悪なのが「何か得してる人達」みたいなトンデモ勘違い
■凄くベタなオンザレールを例示すると、
ある地方で凄く野球が盛んだとします。→そこでは子供時代から少年野球やるのが当たり前で、スポーツが得意苦手に関わりなく「その土地の生れだから」という縛りの中で(逆説「嫌ならこの土地から出ていけ」→この階層が進学で都会の大学へ)、それぞれ事情はあると思いますが「僕はこの土地から離れられないとか、この土地で生きていきたいと決めた場合」=絶対に少年野球部には入らないといけないんです。
当然そこには鬼監督やらコーチがいて(昭和の時代の話だからね)「人間教育も担当します」
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何をするって、躾のことで「権威職や年長者のいう事をしっかり聞ける子」にするため(ですから先輩はワザと不条理な指示を出したりします《先輩が言うことがどんなに間違えていても「ハイ」と言える子を育てるためです》)、体罰含めて地域から負託を受けており、
そこで頑張る子は、その後の進路や就職まで面倒見るんです(勿論そこには配偶者の斡旋も含まれる《性欲の面倒も見る》)。
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この選択を受諾した場合、(進路も仕事も配偶者も斡旋されるのですから)本人に経験値として何のスキルがあるのかと言えば「上のいう事きいて元気にハイと言えること」なので、
仮に”適応社会”に後から盾ついて出ていっても(進学で都会にいった昔の学友とは違い)”適応者’は「ひとりでは何にもできない上に、激しい孤独感で自暴自棄になったりするんです」(その一部は不良堕ちだとか、ヤクザ堕ちとかになる《極道一家が捨て子を拾う構造、活用形が現代の「家出少女と言えば暴力団」となる》)。
●自分の頭で主体的に考える能力を削がれるため(心理学における「抑圧」と同じ)、
本当にひとりでは何もできないんです(どうしていいのかわからなくなるが正確かな)。
『共同幻想』適応(無理でも合わせる)とは個として生きることを捨て群体(共同体)としてひとつの生命を生きる選択ですから。
●生き残るには、地域や仲間内の”適応社会”に是が非でもしがみつかなければならない。
どんな不条理な苦労があっても(少年野球時代の先輩のしごきを思い出せ)
「幸せでーすっ」の破顔一笑の表情で飾り、
周囲からは、「まあ、お調子者、いつもの絶好調ねっ」なーんて言われているんですが、
風呂に入ってひとりになると死んだように疲れた表情だったりする(これは一部銭湯でも観測可能だ)。
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タグ:『共同幻想』