「神がいるとするなら」←この命題に対する古代賢人の答えっつーか考えなんだと思う。
(というか古代において宗教は最高位の学問だから《そこが『新興宗教』との最大の違い》)
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更に、小説や芸術から全般についていえることだが、
「そこまでリアリティーを担保した創造性のある作品が、少なからずの読者なりに共有された時、下手すると(多世界解釈的に)真面目な話そういうパラレルワールドがマルチバースしててもおかしくない。」
■だから漫画『明日のジョー』において力石徹が死んだ時、
劇作家の寺山修司は本当に力石の葬式やったんだよ
(劇作家だからこそ”リアリズム”の意味をわかっていたのじゃないかしら)
すると、つまりだ、
「神がいるとするなら」←この命題に対して、凄い高レベルの解釈なり思考に成功した場合、
”その神が本当に存在するのかもしれないぜ”ってことになるだろ。
【それが無いと言えない以上、あるとしか言えない】(『共同幻想』発信)
これが『宗教』なんだと思うぜ。
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少なくともこの段階で、「パスカルの賭け」は成立する
(※神の存在を信じて幸福な人がいる場合、誰にもいるのかいないのか確かめることはできないのだから、いると思って暮らす方が数学的に得だって話。)
だからリアリズムに欠けるというか、
創造性に乏しいしょっぱい教義しか書けない『宗教』はパチモンなのだろう
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