輪廻転生が(元ネタだと虫や動物になることもあるよってなってるが)
同じ自分の人生を何度も繰り返すことだとした場合(シュタインズゲート状態)
自分ではこれが何回目の人生なのかわからないのだから、
今現在誰もが体感してる現状と同じなワケだが、
仏教哲学で言うところの『悟り』が、『個性化』を指す場合
(個性化:DNA的可能性の”何かの閾値を超えた状態”《認識も含む》)
それは”選択肢の発見”でしか進行しない。
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何のことかと言えば、
昨日と今日が同じ考えの人物であれば、そこには何らの成長もないことになる。
極論だが、「何、マジか、そうだったのかも」と(『共同幻想』適応人間的には”変節”なのだろうけど)”会得”するものがあり、考え方でもなんでもいいけど”選択肢の発見”により、都度少し別の人格になる場合(ほらね、これ究極の姿は『賢人』という意味で『仏』、ならば”個性化”は”悟り”)、
ついにその時、世界線は分岐し(何度も何度も再現なく繰り返してきた同じ人生から離れ)多世界解釈的には、別の自分(或いは別の世界)が登場することになる。←初めて輪廻転生から離脱したのだから(解脱)
※フロイト心理学的に言えば”その選択肢の発見は今現在の事象でなくても有効”
どういうことかって、過去の解釈によって(過去に対しての「あーそういうことか」の理解がある時)現在の人格に影響が及ぶ場合、世界線の分岐は「再解釈された過去の時点から」となるからだ(現象としてはダダダダダーッ、ズラズラズラーッとその時点から現在までの過去解釈が全部アップデートされる←あたかもそんな風に生きてきたかのように)。
※先日のR20原稿シリーズで言えば
「”性対象斡旋のインセンティブ”に抗い(適応することなく)歩留りとしての禁欲修行ごくろうさま。ハイ個性化会得しましたね、そこから先は上位世界なので君の性欲全開放OK(エロスは上昇するエネルギーだからね)」
この暗示が、仏教にもあって、
それが「そこから先は極楽浄土だから」ってことなんじゃね?
■となると、見出すべき”選択肢の分岐”(方向性としては個性化)
「どこまでいけば”何かの閾値を超えた状態”なのか」な〜んて話になるが、
<<<<<俺が知るワケないだろ>>>>>
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