前記事のおさらいになるんだけど、大事な事なので念押しておく。
(そのまま引用だが「大事なことなので二度言っておく」って奴だ)
■適齢期の若い男女が複数で遊興する行為も”広い意味では性的快楽であり”、
これどういう意味かと言えば(そこに爺ちゃん呼んだり親を呼ぶと何故か”何かが台無しになる”感じするのは何故さ?)、そもそも潜伏期とはいえ潜伏期とはいえ「幼児や子供にまったく性欲が無いとかではない」(子供だって十分エロやワイセツ図画にレスポンスする『興奮』現象は起きるしそれを理解している《大人のそれとは規模が違うだけだ》)「子供達がもっぱら同性と遊ぶのも性的能力の獲得が無いからだが《同性である共有感が親近感と関連するため》」←これは『退行化』時のゲイ的性嗜好の元ネタです(逆説的に”だから子供の遊興は性的では無いとはならない”)
女性はあまり知らないと思うが(女児には女児の類似したものあるのだろう)、
男児は中学の修学旅行などの時に、猥談的な延長で「誰々の性器は皮がむけてるのか」みたいな話で嬌声あげていたりするわけ(完全に”同性間”で性的遊興入ってるでしょ)。
「友人同士で旅行に行く」なんて行為は、説明するまでも無く『退行化』(幼児化)だが、同時に性的能力獲得後の大人がそれをやれば、当事者意識してないだけで”ゲイ的性嗜好”が入ってんの。
(※適齢期の男女混合での遊興や旅行も同じ《この場合のフラグはフリーSEXです》)
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あのさ、「ぜんぜん性行為してないだろ」の異論があると思うけれど、
●「日本セックスレス協会」などいう団体があってだな、
ご存知ない方いると思うが、
この団体によると「セックスレスとは、夫婦が同じ寝具で寝るとか抱き合うなどのスキンシップがあれば(明解に”前戯”のようなものでなくとも)セックスレスとは言わない」←という定義なの。
逆説的に言えば、同じ寝具で寝るとか抱き合うなどのスキンシップがあれば”性行為”と同じだってこと。
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そこまで明快でなくとも、「適齢期の男女混合での遊興や旅行」は限りなくそれに類似したことをする(BBQじゃないが性対象者同士が食事を共にするのもフラグである)。
「『退行化』(幼児化)疑似性交ゴッコ」に外ならないワケ。
【だから、多くは実際の性行為との不足分を、肉食と飲酒による『興奮』で穴埋めしてる】
チンパンジーの隣のサル村狩り(殺害して食う)決起集会での奇声が笑顔の原型なる説もあるが、設定がそのままほぼ類似してるでしょ。
そして”若者達遊び”その原型は、潜伏期子供社会の「遠足」であり(穴埋めは「おやつ」)、
性交可能年齢とのバランスを「おやつ→肉食と飲酒」で補っていることもわかる。
”性交可能年齢のバランス”が必要な時点で=疑似性交の証明なんですよ(定番のバランサーが「肉食と飲酒」)
(※という構造で見ていくと暴走族やら不良グループのそれも、もうその段階でハードゲイっぽいだろ?《しかも当然この徒党の場合も”暗黙の仲間は誰でもOKルール”みたいな一体感がそこはかとなく発生してる》←てか、だからハードゲイが彼らをモチーフにしたんだけどさ《よっぽどキャッチーだったのだろうぜ》)
■うんでさ群れるって何さ=『共同幻想』社会のことじゃん
(その正反対が『単独者』なんだから)
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はい、ここに「動物行動学」の話をからめていくけど、
人類ヒト科とDNA99%同じチンパンジーや、森の人ボノボは「外から新たな新参者が仲間に入る時、全員と疑似性交のポーズを取ったりする」←つまりさ群れを形成する原動力のひとつも”生存欲という意味の広義の性欲”なワケさ。
「若者達が、仲間同士で肩組んで酒飲んで嬌声上げる」←これな、性行為では無いが”生物学的に言えば”【性的行為】だから(或いは”疑似性交”の代替行動)。
<<<ここから本記事の解説>>>
まず、ここでも繰り返すけど”性の嫌悪”視点があるから、汚れたとか不潔不純などのイメージになるだけで(だから反対は『禁欲の聖人』)、本来動物にとって性欲は生命のモチベーションなのであり(過去ログでもエロスが神へ近ずく上昇みたいな意味がある件を書いたけど)”性を肯定”する視点から見れば(青春にしても)【意味は肯定的意味で逆さまになる】。
しかし、この話の鍵は当事者が主体性を持って自然にそれを行使する場合であり「強迫心理」を介在させる社会構造に”適応強迫”されるかの部分に、現代「歩留り」達がアレレと気が付いたところから(厳密に言えば自由意志では無いことになる)様々な論議になってるいう事ね(人類ヒト科の性欲を否定してたら滅亡しますがなww)。
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但し、「若者達の遊興」を(適応者ならまだしも)『退行化』による”性の嫌悪”の逃げ場として依存しようってのは筋が悪い(”適応者”のルールを読み違えて、イジメパージの対象になったりするだけだ)。
前項の暗韻は「性を肯定的に謳歌できるのは、個性化に目処をつけた(仏教なら悟り)最低でも歩留まり以上」ってことになる(『共同幻想』適応社会のデフォが性を不純視してるからな《”適応保守世界”は「結婚の性だけ肯定」という設定をしてるのさ》)
<補足>
大事なことだが「若者が群れて遊興する」慣習は、GHQの「自由恋愛」号令の後に登場した文化であり(『共同幻想』崩壊前の時代は親の許可が必要だったり、不謹慎・不真面目な様として嫌煙されていた)、これは前述の保守系『共同幻想』モデル(結婚の性だけ肯定)の崩壊を意味している。
世俗化だとかリベラル的に上位権威との関係が”敗戦により崩れた”後に(本来は群れも終了となるところが)末端の組織化がそのまま残る形で歪な現象として残ったものだ。←なので保守系『共同幻想』モデルがその懐柔策や囲い込みとして祭り時などに限定して運用していた”若者の仲間達”という習俗が自由化され(性の部分は肉食や飲酒で隠蔽可能→よりイメージはeasyとなるので組織化が容易である)、
「性の疑似行動」として主として若者達のDQN社会に普及したというもの。つまりいつまでも続く習俗では無い(現代「歩留り」達はそれもハラスメントであると発見)。
さて、
■性行為の本質は「プライバシー」であり、
男女交際を定義するなら
「極めてプライバシーレベルの高い秘密を異性の二人だけで共有する様」となる、
だからお見合いなどの時に「ここから先は若い二人で(邪魔者は消えますね)」と言うだろ?
本来、若者の最も旺盛な欲求は性欲だから、ガキじゃあるまいしいい歳こいた(20歳過ぎの)大人の若者が友人同士と遊ぶなんてことは『退行化』(幼児化)抜きに不可能であり(特に同性と連れ立つことが多いのは「子供はもっぱら同性と遊ぶため《趣味が共通しやすいのもあるけどね》」)、
実際に草野球などではしゃぐ大人を「少年のようだ(子供みたい)」などと表現するじゃん。
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しかしこのままだと(性欲を留保した経済バランスが崩れたままなので)
【主として、肉食とアルコールの『興奮』で埋め合わせする《『興奮』値を性行為と等価にするワケ》】
(或いは極端な嬌声あげてバカ騒ぎしてみたりな)
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