(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)
『共同幻想』適応人格がチェーンブロック同一人物なのだとしたら
『単独者』は、変わり続ける人格だから→「明日の俺を同一人物だと思うなよ」って人になる(笑
※『共同幻想』論における「チェーンブロック同一人物説」ってのは、過去記事に登場した”ちょいと新しい分析着想”。『共同幻想』適応者が仲間などと集まる度に(典型例が同期会)「同じ昔話を正確な再現性で繰り返し共有管理する様」のこと。このスキルは高齢者になった時「同じ話を何度も壊れたテープレコーダーのように見事な再現性で繰り返す現象」として観測される。
量子論的にこれを観測行為と見做した場合「現実をひとつの解釈に固定化させるためのチェーンブロックが構成されている」と言えるよねって話(人格としても一度設定された役名から外れることができない《やれば何故か「裏切者」と呼ばれる》)。
まあ極端な話だ(人格の変遷って事で言えば「歩留り」適応者の方が大きいと思うし『単独者』が一番変化するという意味では無いが)、確かに『単独者』は何かの考えなりを信念として”俺は俺”ってタイプになるが、寄って立つ学問なりが学会等で大転換などすると自動的に信念の方もアップデートされる。
(自分の考えに学会もクソも無いがw、概念としてはそうなるよね)
●実際俺の人格は『単独者』→「歩留り偽装適応者」→『単独者』と謎の変遷をしており(幼児期に『単独者』とか自殺行為も甚だしいが、実際に1歳前後で死にかけてるしww)、人格構造が切り替わると以前の記憶が随分遠のくというか”あれほんとかね”と思うぐらい実感が欠落するのも事実で(だって根性入れて当時の人格再現シミュレートしないと”追体験が起きないんだわ”)、ただでさえ非言語のため思い出すことが絶望的な乳幼児期に至っては「ある意味記憶が捏造されている」。
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今回はこの記憶の捏造の話をしてみようか、
(映画「ジェイソン・ボーン」シリーズみたいなのとは違うぞ)
捏造も何も、後からどっちなのか区別が付かないって話で、
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