思春期『反抗期』における自立モチベーションの核は「性的(繁殖)能力の獲得」です。最も顕著な部分は(それまでは”快感代謝”を権威者《典型例親など》に依存してきましたが)、”快感代謝”の中でも最高ランクの行為を自身単独で可能とする事を知り(厳密に言えば性対象が必要ですが、この獲得行為は確実に単独《これが複数でとなれば”性倒錯”です》)、自分が子供では無く個として存在するだけで価値を持つことの自覚に始まります。
R20上等の表現をするなら「快感獲得能力そのものが(逃げられない個としての)価値」なんです。
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これの意味わからない人がいたらそれも相当なものですが、
いちおう解説しておくと、
「高価な松坂牛でもなんでもいいですけど、旨いなどの快感獲得値が価値を成していること」だれでも認識できますね。
性欲というのは(1円も持っていなくても)自分の性能力を獲得した存在単独で最高位ランクの快感値を獲得可能な能力が自分個人にあることを示すもので=「さあ主体的に自由を獲得に行け」←はい、これが思春期『反抗期』における原初的な自立心です。
※繰り返しますが、ここで重要なのは(性欲がプライバシー価値の発見であること)この獲得行為が単独で行われることです《これが複数でとなれば”性倒錯”です》。
■つまり瞬間風速的に、誰もが一瞬『単独者』を経験する
(『反抗期』にあれこれ考える自分時代は”自分探しの旅に出る”など関連エピソードは『単独者』系である。)
オンザレールな適応者の場合は(権威者側も何気に性行為の秘密を隠していたことを詫びてというか、大人になったから公開しましょうかと懐柔にかかり)、”家幻想”終了後の”社会適応”は大人の社会適応であり、言うことをしっかり聞いていれば性対象も斡旋しますよというオファーに応じるものです(社会契約説的な”適応”ってイメージかな)。
(※ここから「仲間は誰でもOK暗黙ルールに基づくインセンティブゲームが始まる」《社会的成功と性対象斡旋を紐付けしてインセンティブとする》←大事なことは相手は仲間からしか選べないのでこれがゲームだってことです《設定されたゲーム性の中だけの自由》)
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わかりやすい事例なので、このまま旧世代のオンザレール”適応者”をベースに話を進めると
●『退行化』ってのは、『反抗期』に大人として自立する方向に(端的に言えば親と自分をタイマンに置く《合理的に性交可能性が担保された何らかの決着をみる》)、交渉が決裂するというか、或いは”家幻想”と一般社会との物語の引継ぎがどうにもうまく行っていないなどで、
「このままでは性交可能性も担保されない」←ということなら、『反抗期』のまま荒れ続けるか、一時撤退(子供時代の物語設定に後退)する他ありませんね。→この一時撤退が『退行化』です。
うんで、この時邪魔になるのが?
(自立の裏返しなので)”狭義の性欲”です。
図式としては”そのまんま”です。
個人が主体的に自立する動機の根底には「性能力の獲得」があるのですから、
自立を留保して、子供時代に撤退するには「自分の性能力を否定しなければなりません」。
(昭和時代の女子に”カマトト”って存在がおりましたけど、これは”プチ性の嫌悪”のこと)
なんでしょうね、「アイドルはウンコしないから」みたいなファンタジーとして「自分は性行為とかホニャララだ」のように認識の外に置こうとする。←このアイデアが”性の嫌悪”(わかり難い人は”性欲の嫌悪”でもよい)
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