これは古臭い手法で、セレブがそうなる動機とかは過去記事で書いたのでここではやらんが、彼らの顛末がどうなるのかって考えてみると、結局どれほど成功して金持ちになっても所得には限界効用があるので(単純に言うと無駄にななるとか、昔購入に感動したノートPCもゴミのように見えてしまう《経済学の基本中のキ》)、これさ皮肉な事に彼らが染まりやすいマル経左翼論の「資本主義はだから滅びる」の当事者なんだわね(だってガチ資本家な訳だから《そこから必死に逃げるために財団作って慈善事業家だと言い張ってるんだが》)。
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この彼ら自身の行き詰まり感というか虚無感が終末論を求めてるんだと思う。
(いやいや終わってるのはあなた達だけなんだが、、、)
プロスポーツ選手でたとえるとわかりやすいと思うんだ。
(中田英寿選手にはアレなっちゃうかもだけど)
大谷選手にとっていま大事なのは「年俸より野球が続けられる事だよね?」
MLB選手の多くが引退後に破産するとも言われているんだけど、ポイントは”破産が現役中には起きて無い”ところだろう。→それほど「やること無いのに限界効用で体感価値が下落した金だけ持っていても虚無感に襲われてしまう」という(実はインセンティブに過ぎない)所得の暗黒面と言うのかしらね、怖い部分はある。
金融の世界で稼ぐこと自体をギャンブルとしてプレイしてる感覚の猛者は「金では無く”金額”がタイトル」なので(限界効用にも鈍感で)、なんぼ稼いでも(現役選手と同じ)底なしに稼ごうとするが、こちらはほとんどギャンブル依存症です。
■誰もが夢見る「悠々自適の老後」というものも、
絶妙にアンビバレントな部分があって、
昭和のように人が自然に老化する時代は、自然現象で欲求が減衰「自然現象賢者モード」になれるので(多くを望まない=快感代謝ノルマが軽い)やることなくてもそれほどのストレスとはならなかったが、(悠々自適に一部含まれる)老後も元気に目立った衰えも無い場合”やることないと「退屈したら死ぬ病」に襲われるため”→”悠々自適では不足なんです”(何か忙しくすることがないとストレスから鬱になる可能性がある)。
悠々自適の対立概念で「生涯現役」みたいな着想も浮上する。
ところがそこに(限界効用超える資産を持つなど経済的に成功し)所得インセンティブが効果を失い、(生涯現役を自称できるような)引退とは無縁の本業を持っていない場合「結構困るワケさ」。実は社会的成功だけでは、インセンティブに過ぎない八百長劇に奔走したに過ぎないことに気が付いてしまう。
→●中世の貴族(伝統)と違い、社会的成功って引退したら「ただの成金」でしかないから。
※最近あった深海にタイタニック観に行って事故に遭った資産家を思い出して欲しい(貧乏な庶民には「どうしてそんな無謀なツアーに」と思うだろうけど、資産家には資産家なりの苦労があるのさ)
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