<前回記事の続きの”続き”>
わかります?人類ヒト科のDNAは人体の外部にある刃物や銃器を知りませんので(流石の免疫系も棒や武道や刃物や銃を自分の肉体の一部と判定しない)「そんなものを操る生き物を前提とした本能そのものからして存在しておらず」=人類ヒト科には「本能的に殺人を抑える機能が無い」(たいした牙や爪をもたないサルが殺せるのはせいぜいが隣の森の異種小型猿《チンパンジーが異種小型猿を殺害して食うのは有名》)
■【自我:自己決定によってそれを止めとけよってことかと】←そういう進化してってから
(↑これが俺の主張してる「犯罪のボーダー」論なんだけどさ→「犯罪とか意味無いことに気づけバカと」)
ここ読むとさ、
わが青春の日本ハードボイルド小説の草分け大藪晴彦『野獣死すべし』における、主人公伊達邦彦の台詞「犯罪は割に合う」ってのどうなのって話になるかもしれないが(誰も興味無いかこれww)、大藪が野獣書いたの確か早稲田在学当時のことで(ほぼ中二病時)、言うまでも無くだけどこの背景にはマル経的な革命思想があったものと思われでさ、
「個人でやったら犯罪かもしれないが組織が国を転覆させれば革命だ」の乗りだったと思う。
故に大藪における犯罪ってのは一介の学生やサラリーマンが大企業などで不正を行い私腹を肥やす(そんな人いたろうかって)エスタブリッシュメントだったりする。「言えばブルジョワ階級だよ」。
犯罪心理のシリーズでも登場したと思うけど
《安全保障の必要が無い個人:例外事項宮本武蔵》
大藪の小説に登場する悪役ヒーローってのは(バットマンのアレと被るか観てないから知らんけど)、妄想超えた強者だからさ(そこを銃器のリアリズムで「ある、きっとある」なんてことにしてる)、
「犯罪は割に合う」←【空想上のオマエだけはな】って落ちww
そんな大藪の影響で中学の頃から学生時代までガンマニアになった俺ですが(言えば小学生時代のルパン三世1stシリーズや、西部劇の影響に始まる)、詳しくなればなるほど「ハンドガンごときでいきがってるのはむしろカッコ悪い」と知るのであり(大藪も後から恥ずかしくなったのか自らアフリカまでハンティングに向かいセミドキュメンタリーの「ビッグゲーム」を書いてる)、
大藪にしても恥ずかしい中二病時代のネタですよ、
●しかし、後の『蘇る金狼』は昭和のサラリーマンにも受けてベストセラーになる
よく考えるとさ、(当時の所得インセンティブ煽りの凄さもあるだろうが)フェミニストな人がよく主張する(重犯罪はほぼ男性論)人類ヒト科雄の原初的暴力性ってのが(本能の壊れたサル論)「やっぱあるんだろうね」と、
作者の大藪は「犯罪は割に合う」という呪文で、読者を書籍の世界の中だけ「犯罪のボーダー越え」をさせることで(異世界ものと同じだよ)、バイオレンスなエンタメに感情移入させた。
それだけ昭和の猛烈サラリーマン時代のストレスはドエライものだったということです。
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