失敗だから過失だよね?(誰にでもあることだから別にいいじゃん「こりゃ失礼」で)
●単純に数学的に考えると「プライド高い人ほど恥ずかしい行為が増加する」←あってるよな
正反対の状態が「無敵の人」かな(ちょ〜っとニュアンス違うと思うけど)
プロ野球選手だから平凡なライトフライを落球することが恥辱になるけどさ、
同じプロ野球選手でも、最初からあまり守備を期待されていないMLB助っ人の場合(たとえばヤクルトのサンタナ)それは恥ではなく「ここでやらかしたが残念」で終わる。
大人の世界じゃケースバイケースだ(草野球に至ってはやらかしエラーも酒の肴になるぐらい)、
■さて『退行化』と構成される「強迫心理」を考える場合、『退行化』前の、児童期現在進行形の状況はどうかと言えば、過去記事で説明したように(”家幻想”の環境もあって《”個性的家族”って言語が無いことからわかるように多くの親は親業する時にステレオタイプなイメージに頼る》)、何気に子役として”子供っぽい共有自我”の適応インストールを求められるガキってのは、往々にして『共同幻想』適応を迫られる(結果さ、どのガキみても同じに見えるじゃん《多くがガキっぽい人物像だ》)。
そこに調子こいた文科省がクラス編成(子供階級社会)するものだから、
子供達の社会に適応できないと(法的にも行動選択が限られているため)→「退屈したら死ぬ病」に追い込まれるよって設定が行われる(子供社会によくある典型的「強迫心理」だよ)。
いつものようにそこにはゲーム性のあるインセンティブが用意され(こぞって参加いただきたいからな)、やれスポーツできるとか勉強できるとか”よく適応できた子には褒美がでるよ”って、暗黙の設定があり、逆に”よく適応できない子には罰があるかもしれません”(通知表見せた親に殴られるとかな)なる筋書き。←そう言うゲームシナリオって意味で八百長なんだけどな、
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ガキにとってはこの強迫設定は大スペクタクルであり、八百長ゲームといえどもそこで(アホみたいに踊らされて)競いあうことになるんだが(笑
●現代の子供達ってのかな(その多くが子供時代から「最低でも歩留まり以上の自覚あると思う」)、彼らの本音は「まあ適当に表向き合わせておけばいいか(本質的にはどうでもいいものだ)」ぐらいのものでしょう(なんつったって人生の大半は、大人になって以降の話ですから《小学校でチャンピオンになってどうするって、、》)。→塾で本気出す奴もいれば、習い事で本気出す奴もいたり、興味あるものあれこれお試し中もいるでしょう。
がしかし(今現在大谷君《今29歳》と同世代前後〜年上世代の場合)
大谷君がパイオニアだったぐらいですから、まだまだ文科省のトンデモ運営はバリバリで(その結果イジメが横行《イジメに関しては現在でも増加中だった筈→文科省もクラス編成廃止までいってないからね》)、現代の子供みたいにすかした事言っていられない切迫感が演出されていたと考えるべきでしょう。
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