■典型的なとこで「男性の頭髪(ハゲ)コンプレックス」やら「女性のスタイルコンプレックス」やら、昭和の「学歴コンプレックス」から、コンプレックスと言えば”過剰に本人が気にしてる”現象です。
この話ってのは最初から、
まず「何をしょうもないことを気にしているのか」って話なワケで(第三者は誰もがそう思う)、
ドン・キホーテじゃあるまいし、コンプレックスをそのままのサイズで抱えたまま、それを正面から克服してどうするんですか?
(何かを過剰に認知して自分を比較することで”何とかガー”って構造は置き去りでいいの?)
心理学的には、「ナントカコンプレックスな人が」(何かをキッカケに)正面から命題をクリアしたとした場合(そりゃその瞬間はカタルシスあるでしょうけれど)、そもそもどうしてコンプレックスなどという心理現象を発生させたのかって本題は何も変化がありません。
この場合、「次なるコンプレックス」に話題が転じたり、「クリアした筈の命題が、いやもっと、それ以上に」などエンドレスになってしまう事も”論理的にはあり得る話”であって、
だって話の始まりは「それ?そこじゃないでしょ」とかなワケで(踏み込んで言えば「全然関係ない事だと思うぞ」だとか)、
うーんなんてかな、しょうもないコンプレックスほど無害ですよね?
たとえば「男性のハゲコンプレックスな人が、都度それを笑いにして(気にしているのは事実だけれど)”誰がハゲやねん”とか言える人の場合」←しょうもな(本人まったく平気やん)ってことなりますでしょ。
●つまりコンプレックスの解決とは
「なんだどうでもいいことじゃん」と本人が思える状態になることで、
「どうしてそうなった」などの分析でネタバレ崩壊あっての解決にあると思うんですけどね。
てか、そうでしょ(コンプレックスの言語としての定義が「周囲はそれほど気にしていないのに」って事柄なんだから)。
なんてーか「コンプレックスとは”思考停止でその場に留まったり”、『退行化』を正当化するための言い訳」っつーか、「強迫心理」を構成するためのネタなんだわ。
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