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■歴史的経緯をひも解くと
近代までの『共同幻想』適応社会時代(勿論バリバリなのは封建時代)、権威権力サイドは構成員の動機形成を誘導してましたね(社会的いいこと悪いことなど名前を付けて権威権力にとって都合のいい動機形成のみを許可した《わかりやすく言えば理想的家臣団や農奴や労働者などの階級社会》)。
飲酒や性交などの「本来はプライバシーに属する」”快感代謝”の管理規制です。
(それで欲求不満に追い込むと同時に”飴と鞭”じゃないですが、集落の快感代謝イベントを主催しこれをインセンティブとした《典型は宗教権威が主催する酒池肉林の祭事》)
この歴史があまりにも長くてですね、
素朴な市井の青少年も(事実一部のカルトなキリスト教権威社会では自慰行為は禁止だったりする)「なにか原因はこれといって無いのに自慰行為にうしろめたさを感じる」などの(オカルトユングの集合無意識かって)メンタリティーが醸成されてきました。この継承は所謂地上波メディアなどの自主規制や(ボカしも含む)「性的なものを恥ずかしいから転じて”社会に承認されない悪い事”」などの”噂というか風評というか”(一種のプロパガンダでもあるんですが)←こいつがかなり社会的慣習や常識として浸透している結果です(流石の「最低でも歩留まり」階層と言えども、よっぽどでなければ社会的慣習になってる概念をネタバレ崩壊させようというリベラルバネは働かない)。
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「またエロネタか」なーんて言われそうですが、かなり典型的な象徴化の原型なんです
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●たとえばね(個人的興味あるにしても”わかりやすい成果と無縁なこと”に一生懸命やってる人にさ)、
「そんなしょうもないことしても、それはお前の単なる自己満足だ」←この台詞の背理には「恥ずかしい自慰行為の何を誇れるのか?」みたいなイメージが被ってんのさ(社会や他者に「そんなん一生承認されないわ」という恫喝)。
※その証拠に「似たような行為の筋トレにはどうしてうしろめたさみたいなのを感じないのかね?」(時にプロでも無いのに何一生懸命やってるとかの批判はあるだろうけど)、そら部活や体育など権威のお墨付きのイメージがより強く被っているからだろうさ、
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