多世界解釈だとか、物理学に時間は無いやら(過去も未来も全てがそこにある《観測者の視点としてリアルタイムの概念があるだけ》)、そもそも事象は可能性の波動関数の中で重ね合わせ状態にあるワケでだとか、いやいやあなたが観測者として死を確定させたかもしれないが、常に生と死はシュレディンガーの、、、、そもそも電子は宇宙でひとつしかなくてそれがテレポーテーションしているという説もある、、、
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はい、この人物が葬式にきたらどうする(笑
俺もそれ系の話が大好きだからさ(正直死は本当に確定的か?なんてことも考える)
昭和ならマッドサイエンティスト的解釈とでも言ったのかも知れないが、
最近はあーた、youtubeなどにあふれかえってるワケだ。
この現象を「不老不死欲求のオルタナ展開」と俺は考えてる。
(人類ヒト科なめたらいかんぜよ、簡単には諦めませんよ)
「自分は死んでないと言ってるのだから、死んでないとしか言えない」
たとえば、
(能書きはなんでもいいわ)「かくかくしかじかで、仮に俺の死が医師なり警察なりによって確定したとしよう、しかし俺は死んでいないのでよろしく」←これが遺言だった場合、
へーーと、理解のある親族はさ、、「彼は死んでませんから、かくかくしかじかです」
うーん、法的には死の手続きをするかもしれないが、葬式はやりません。
「だって死んでないから(あなたが死んでいると断言するなら多世界解釈を今完全に否定してごらんなさい)」
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こんな時代が来ても俺は驚かない
人間は考える葦であるなんて言いますが(by.パスカル)
確かにその人の考えは(現世の命と関係無しに)不滅かもしれない
「その考えの方を本体だと定義する場合、不滅としか言えない」
(生命血統を本体だと定義する場合、子孫さえいれば《名前も襲名され》不滅である《こちらは『共同幻想』論》)