(流れで説明してるので、少し読みずらかったらゴメンなさい)
『快・不快原則』ってのが(これ何回説明しても)なかなか理解得られないものなのだが、
心理学における大原則のひとつだぜ《フロイト先生が”死の衝動”論道半ばだった関係もあると思うけど》:”死の衝動”ってのは自殺衝動じゃネーぞ、ここは後にこれを経済学に展開するケインズの理解のがわかりやすい。
「生方向の欲ってのがインフレで、死方向の欲ってのがデフレです」
(やれエロスだデストルドーだって言葉遊びみたいな論議はここでは省く)
ケインズがデフレをどう捉えたかって
通貨に過ぎない(手段)金をさ、金だけ溜めたいって欲求化されちゃうと(目的化)、「本来目的達成のための手段であるべきところ、手段が目的化してしまいトンデモになる」って話で(消費も投資されない蓄財は経済をシュリンクさせる:てか交換手段が本性の金を貯留させたら経済は死ぬだろ《”勿体ないからと”血流を抜いて溜めこんでると誰でも死ぬじゃん》)、
●どうしてそんなにバカ何だか知らないけど(なのでフロイトは”そんな衝動があるんだね”と考えた)、ヒトの心理には(どっから考えても)非合理的な欲求があり、アダム・スミス的に神の見えざる手「市場原理」だけに任せておくと、時々経済は勝手に失速して大変な事になると考えた(言うまでも無くその瞬間マルクスの「過剰在庫の資本主義崩壊論」は論駁されたワケ)→その答えが「景気刺激策、公共投資」だ。←若干趣旨は違うが、心理学で言うところの『認知行動療法』だわね、
さてさて、
■この謎の”破滅志向論理矛盾欲求”ってのがどこが始まりよって話。
で、その鍵が『快・不快原則』さ、
(歪な進化の帰結である人類ヒト科の求めるのは”結果ではなく”《この段階で既に本能では無い》、過剰な能動性の日々の完結・遂行である《毎日20キロ散歩が必要なイヌのようなもの》)
とにかく、思ったようにバリバリ行為されていれば(農奴の一日でもなんでもいんだけど)ノルマ達成で気持ちよく安眠できます(ノルマ未達成だと、単純な話”眠れない”)。
↓
何かしようと思ってできない=ヤバイ=この状況は「不安」の存否で確認できます
=不安こそ害悪中の害悪である→人類ヒト科の素性から言えば”致死性の害悪”である
(不安から散歩に行けず発狂するイヌで想像してくれ)
■これがまた手段の目的化みたいな矛盾含む話になるんだが(手段の目的化そのものさ)
”致死性の害悪”なんだから、最優先でこの「不安」をなんとかしなければならない、
(人類ヒト科の基礎的ルーチンは24時間なので、これを否が応でも24時間以内に解決)
「何かしようと思ったことができないのは?《命題》」
(どうしてなのか深く考えると自分の直面してる課題をあれこれ考えないといけなくなる《それはもっと面倒だ、、》)そんな事は考えたくない→僕が可愛くないからなんでしょ!
やっぱりそうなんだー!(この落ち込み『興奮』で走行距離ノルマ5キロ達成と等価)
何気に完結してしまう
↑
これがさ(その場限りで後から反省するならまだしも)
”快感代謝”ノルマ達成の慣れた手口になってしまうと(悪い癖ってのかな、、《脳は成功例を反復しようとするので真っ先に同じ流れを”やれやれ”推奨してくる》)
ヤバいのさ、これは「鬱フラグになる」
※最近よくたとえる量子論的に言えば「鬱ルートパラレルワールドの分岐」ができちまう
欲求不満の端緒を察知する度に「手近な”落ち込みネタ探し”からするようになる」
(脳にはそれの再現を求めるインセンティブがあるワケで《成功例を反復しようとする》)
この話の重要な原則は
■■■「不安」は、「落ち込みでも代替可能ってことさ」■■■
被害感ナルチシズムから”ピックアップした落ち込みネタに対する激怒”に転じる場合もある。
(もっとベタで言えば?「僕はどうしてモテないんだろう?《不安》」→「この仮性包茎ガー!!!」)
”落ち込み寸劇に化ける”ことによって、「もうそれは不安では無くなる」のだよ(どんどん違う話に派生していく)。←この話のヤバさは因果関係がハマってるのでは無いため代替した話にリアリズムの枷が効かず、どこまでもエスカレーション可能だって事です(過剰な”快感代謝”ノルマはどんどん代謝するのが手っ取り早いですから《極論不安と代替できる落ち込みネタなら”なんでもいい”》)
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タグ:鬱症状