(これ、過去にも観たような気がするのだが)
NHKのアーカイブスかな、昭和のドキュメンタリーでこの禅寺修行で有名な曹洞宗大本山永平寺をやっていたのだが(開祖である道元ってのが「形から入るものだ」的人物なのだよ、哲学で言えば構造主義だわね、心理学だと『共同幻想』論)、人間教育として日本の修行系の各部門に大きな影響与えていると思うのね(こうやるんだねと)。
実際行われている修行は「往年の明治大学野球部ですか?」そのままであり、
(あの方式を誰が考えたのかと思っていただのが)
道元だったのね(google検索でいきなり”禅マスター”だってさ)、
wikiによると
ひたすら坐禅するところに悟りが顕現しているとする立場が、その思想の中核であるとされる。
(まあそれ以外の難解な話をあれこれ解釈することもないだろう)
「とにかく言われたとおりにやることやれ派」だ、
まさか道元も昭和末期に至るまで日本の体育会系文化に影響及ぼすとは思っていなかっただろうに、若干どうしてこうなったと思いもありつつの、「いかにも近代に至る『共同幻想』ここにあり」。
誰かひとりぐらい「仏陀がそんなこと言ったかね」反論したものはおらんかったのかのw
肝心のドキュメンタリーのクライマックスは後半に出てくる「大禅問答”法戦”」なんだけれど(あれシナリオあるのかしらね)修行僧首席の誰君が(いろいろ疑問を呈する僧に対して)武器ですかって杖だか棒だかでドーン!って鳴らしながら「それはなんとかなり!」と言い負かすというもので、
その首席君がね舞台裏で「何が悟りとかまだわからんですけど、とにかく形式がという教えに従うのみです」みたいな正直なコメントしていたりだね(この原型というか古代におけるその合理性の根拠は修行僧は全く無知であり立派な経典など見た事も無いところから始まるというのが鍵な《中世だったか忘れたけれど、当時の立派な本は現代で言えば車一台分の価格だったからね》)、
■プロ野球の世界においては、「最新のスポーツ科学的見解として(youtubeなどで誰でも情報に接することができる」コーチに言ってくるのが常識だからとOBがこぼしていたりするんだが、
禅寺においても、「インドに残る経典で」とか言われ出すとさ、洒落にならない話になるのだろう。
(なんかそんな風な「目で見る『共同幻想』崩壊シリーズ」なんてのも観てみたい)