(仰々しいものでも無いので「『自営業』の雑感」ぐらいの意味で読んでくれ、、)
俺の話はサンプルにはならないのだけれど、ひとつの人格改造実験例みたいな書き方はできるのではないかと思うのね。心理学の知見があったからとかは、これ後付けであり、そもそもの始まりは「転校生スキル」に始まっている(インチキな地方訛りを模倣できるようになった始まりもそこです)。
ある意味そんな「転校生の生存本能としての地域『共同幻想』偽装適応な人生」が、具体的に岸田心理学の『唯幻論』を「はいはいはい、なるほどそう読み解くと、はは〜なるほど」とサクッと自我に取り込めたのであって、
●子供時代の話に及べば(行き先の社会構造や文化習俗を”読んで”)自分の人格を改造するというか別人になっていくみたいな部分があってだな。
そういった変遷の中で、素の好みってか(中の人として)俺はこうだなってあるじゃん。
そして心理学という武器を手に入れて、「こっちかな、あっちかな」と自我の論理構造に自分で手を突っ込んでいく中で、「何順前の人格がどんなだったかあんまり覚えていない」とかマジあるんですよ。
(何々小学校時代の俺の人物像って何だったっけみたいな《アイデンティティーを保持しつつやってるので縁もゆかりも無い人格を演じるワケでは無いよ》)
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流石にこれは極端な例なので(同じ転校生稼業な青少年には参考なるかもだけど)
通常何らの参考にもならない話なんだけどさ、
■「記憶と人格の関係」を考える上ではひとつのサンプルになると思うのね。
さて、この話がどういうものかって〜とさ、
よく覚えていないのは、当時の自分の人物像だけでは”無い”のさ、
当時の具体的事実記憶すら怪しくなってんの(記憶喪失じゃないから勘違いすんなよww)。
覚えちゃいるけど、「あれどんな感じだったかな(何々とかホントにあったことだっけとか)」←俗に言う”うろ覚え”状態に落ちるんだわ。
「自我は記憶とそれを整理する論理で構成されている」みたいな話があるじゃん、
即ち、人格構造が個性化分岐で変遷していくとだよ、
(自我を構成する上で必要な)無数のエピソード記憶が”エピソード解除”されて、失念してもいい圧縮野に放り込まれてしまうんだわ(脳はリソースを節約するために重要フラグの取れた記憶はサクサク圧縮処理していくから)。
「確かに解凍して、そんなこともあったな〜、あったあった」は可能なんだけれど、正確性がよ、、随分怪しくなっていくんだわww(中間テストで一夜漬けのディティールが思い出せないように)
<<<何が言いたいのかって「トラウマ論の解除とは何か」って話になるのかな>>>
つづく
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