そのこころは、”人権がありません”
(個人として実存することが不可能な”システム”ですから)
至極単純に言えば、”同調圧力で適応同化を求める行為は”=ガチの人権侵害ですので、『共同幻想』社会適応とは「人権侵害を前提にした、人権侵害を行うための組織」になります。
●勿論狙いは「生き残るため」です
(食うにもやっとの近代以前は当たり前の話《人権?オマエらまず命があってナンボだろ》)
端的に言えば『共同幻想』の理念は
「人権だか何だか知らないけど、生命がなけりゃどうにもならんだろ」←という古代から近代に至る生きるか死ぬかの時代における経験的集合知であり(時々”羊飼いを名乗る”みたいな人も登場しつつですが)、産業革命と経済成長により先進国となった時に『共同幻想』社会という戦いは勝利に終わり、役割を終えているんです。
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ブラック企業などとして語られる”名残”(『共同幻想』崩れ)、
その印象として典型的なものは、
「オマイらは一体何と戦ってるんですか?」←となるんですよ(意味わからないからって)
(※その更に典型は「暴走族の対立」←これはどういうコメディドラマなのかって、、、)
■都度説明してきた「共有・共同人格、構成員は同一人物化が原則」
これまた頻繁に引き合いに出される映画『フルメタルジャケット』
軍隊では、(鬼軍曹の軍事教練において)襟の角度やボタンの留め方、公式行事制服の場合はピンとプレスの効いた洋服まで、完璧な統一(均一、同一)が求められます。
「全員、寸分たがわず(同一人物)海兵たれ!」
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そんでまた、この方式を学校制度に導入したものだから、
(やるにしても絶対近代までにしなくちゃいけなかったものを)
トンデモナイことになるワケです、
(欧米のエリート私立校は全寮制など《実際ウエストポイントなどの士官学校系列の場合もある》、全員が誇りあるエリート校の同一人物になることを求めることでエリートなのです。)
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そもそも人類ヒト科が個体差において同一な筈ありませんし、
素朴に考えると「できるわけがない」と思いますよね。
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ところが違うんダナーこれが、、、
どういうことかって→「規格に揃えらないものは捨ててしまえばいいからです」
(そんな事して何人残るの?って思うでしょ、しかしね寿命が30代40代なんて時代にそんな着想こそバカらしかったのさ「放っておいても簡単に人が死んじまう時代ですから」、殺害して排除するのと、自然死するのとたいして確率上の違いの無い時代なワケですよ)
●みなさん「腐ったリンゴ」の話は有名なので御存知だと思いますが
(『共同幻想』社会の格言)
もういっこ、平成以降の世代は知らないかもしれない格言があります。
これ実はフィクションなんですけどねww
「ライオンは子供を谷底に突き落とし、這い上がってきたものだけを育てる」
(それをギリシャ時代のスパルタが教訓にしたとかそんな話だったかな)
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”そんなライオンいないから”(悪いけど)
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