これがね”あるんです”
近代以前の「新生児死亡率と(50%という話もある)、出産時の母体の死亡数(死因としても有力だったという説があります)」、
これが半端無かったとも言われれており、
時代として避妊の知識もアバウトだったでしょうから、
結婚して出産する行為そのものが「生きるか死ぬか」を意味していた。
《そもそも繁殖に関わる本能は多数の種において死と隣り合わせでしょ》←繁殖行為の直後メスに食われる昆虫とかもいます(種によってはオスの命も危ない場合もある《そもそも繁殖期のオス同士の闘争で命を落とすことありますから》)
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仮にこの当時(現代と比べてはるかに人口少ないですから)
人権主義なんかがあった場合、
(産婦人科医療制度がないため)現代と比べようもない少子高齢化にもなったでしょうし、そもそも性行為そのものが女性に対する人権侵害みたいなことにもなり兼ねない。
そこで「お願いします、命の危険もあるのですが出産してください」と懇願するしかない状況で、戦乱の時代ですから権力は男性社会が牛耳ってる(男性の側は戦で死ぬかもしれないのが役割だった《言っても昔は負けた側は略奪と女子供は奴隷って時代ですが》)。
誰がどう考えても自動的に「女性差別史観でいいから社会を運営していこう」になっちゃうでしょ。
時に女性を弱い立場と言ったりしますけど(現代的にはそれも差別表現だと思いますが)
近代におけるそれは「ヤバイ」みたいな意味ではなかったかと。
同時に(不動産で見る『共同幻想』崩壊記事にも書きましたが)嫡男総取り相続制の中で、女児の出産は「最初からあーあーあー」だったりする時代(この時から”どこに売ろうか”って)、それはそれは受難の時だったでしょう。
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しかしね、縄文時代とか土偶に残っているように(全て女性がモデル《豊作の象徴になっているという説》)半ば女性は崇拝の対象ですよ(本当に出産をお願いしていたのでしょう)。
そこでだ、縄文時代ってのは主として棲み分けであり、大きな戦乱が無かった文明ですよ。
戦乱ってのは帝国主義に代表されるように経済的発展と不可分で(産業革命=帝国主義)、
●「様々な文明化の中で女性差別史観も登場した」と見る事ができるのかもしれません。
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