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※といってもこの話(後にも先にもこの1回だけと思われる「不動産ブログ業界関係で新宿近郊某区の商工会か何かの集まり」で講演やったことがある)大人数の前で《内容の半分ぐらいかな》話したことありますが《商工会なので参加者は主として中小企業や自営業者さんだったと思いますが》、「会場大ウケだった」ということも付記しておきます。
■『共同幻想』崩壊、これをただ放置すれば(=”家幻想”の崩壊ですから)一族の歴史というものも断絶します。先代から店舗営業権を相続してきた自営業者などには(引き継いできた農地がグズグズに不動産開発転用からの売却などモザイク状に消失していく様などを重ね)後継者問題含めて忸怩たる思いと言うか洒落では済まされないものもあったのでは無いでしょうか。これが『単独者』社会の到来とともに”再選択者”という確信犯的理解者を獲得する事になるので(”幻想では無く”文化伝統とは何かを考える主体的後継選択者)どこかのターンで有意なものほど残り続けることになりますが、『単独者』社会の到来は「明日はどっちだ」並みにまだいつの話しなのかわからんのです。
※しかもその総体である”郷土”を守るため、欧米列強帝国主義時代に先祖たちが命を賭して守ろうとしたものが戦後この有様であると(演出は米軍GHQ)。「”恋愛幻想”で恋人ガー」←これが『共同幻想』本来の趣旨であったと言えますか?前回書きましたが近代においては多数の人権侵害や女性差別史観をやってでも継承しようとした”何か”だったものがガタガタと崩れた。←文明化と世俗化は世界の普遍的法則ですけどね。→で、ぐるっと回って崩壊後に”再選択者”が(歴史家のように)これをサルベージして有意なものは復興されていくんだけど(勿論名の通りの『単独者』達は自由に《伝統継承では無く》独自に個性化していく)。
<話は戻って>
事はそれだけに終わりません「現代の離婚率概算40%」が待ってます
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●その前に、女性差別史観批判、60年代女性解放運動からのキャリアウーマン時代に遡りましょうか。(勿論この時代も過渡期の現象です)
この話になる前に、もう一段昭和の愛人時代に遡ることになります。
「パパさんなる人物が、愛人のホステスにマンションを買ってあげた」←これが結婚は無理だがそれに準する関係の証明みたいな事になってましたね。
(このストーリーの暗示は、離婚時などに「《協議離婚なので慰謝料とかそういう話は無いが》マンションの権利は君がもっていきなさい《ご苦労様という感謝の印だ》」などの想定逆読みです)
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この事から、何故か(現代では考えられないことですがキャリアウーマン創成期は、結婚を諦めて社会的地位をってイメージでした《育児休暇など即解雇の時代》)結婚を諦めたキャリアウーマンが1LDKマンションを購入すると「結婚した友人とタイマンだ」ということになりまして(ちょっと意味わからない人いるかもですがそういうイメージだったんですよ)、
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●だってそもそも『共同幻想』事の始まりは一族の資産を相続する長男の結婚だけが正規の結婚であり、次男以降や女児は長男の奴隷から縁談の商品やら場合によれば女衒に売られたりやで丁稚奉公など、婚姻しても一族と関係の無い非正規なって言ったら失礼ですが(長男夫婦に子供が生まれない時には子供まで取られちゃったり)、『一族資産の相続人となることが正規の結婚』だったのですから、→「結婚と言えば資産」→「結婚したら夫は5千万のローンを組んで分譲マンションを購入しなければならない《それが適応者オンザレールだ》」みたいな幻想に派生しちゃいます。
あれれ、おかしいですよね
バブルが発生する宮沢政権前は「サラリーマン男の夢、一国一城の主」として戸建てマイホームを購入することだった筈なのに(だものだから当時は凄く遠方に家を建てる結果長時間通勤苦が話題になっていた)、俺の夢どころか夫家の義務みたいな話に(しかも区分所有の分譲がいんですって)。
しかも将来の大規模修繕時の工事をどういう方式にしたらいいのか、そのコストもまだ誰にもわかっていないアホみたいなタワーマンションのがいんですって、、
(土地の持ち分《=資産における不動産率》は切手一枚とかなのに)
●何かしら誰かのビジネスモデルにそのまま乗っかってませんか?
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