確かに種目によっては「定まった動作や所作」がある種目もあるが、そこは”確信犯的再選択者”(中身は『単独者』)でなければ上位者にはなれない(動作の模倣が目的では無く、実戦が前提である以上それが定石である意味を知っていなければならないからだ)。
勿論コンテンポラリー的な自由度や創作が前提なら『自意識』全開が条件だろう。
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この辺は自己表現として極めて『自意識』主導の開放系な特徴があって(非言語的であるが故に”《ロッカールームを例外に》同調圧力”の影響を受けにくい)、社会的にも”快感代謝”獲得や”適応ストレス解消効果”が期待できるカルチャーなんだと思う。
■そこはそれ、昭和の明治大学野球部的”体育会系社会”というオマケもついてきたが、
昭和のそれも『共同幻想』がその開放系を脅威に感じていたからではないか?
(ガッツリ組織で管理しないと『共同幻想』がネタバレするかもしれない《スポーツやダンスの中から競技者が何かを発見して自立してしまうなど》←実際プロなどの流儀ってのはそっちでしょ《武道なら最強は『単独者』宮本武蔵だったりするワケで》)
事実、ゆとり教育以降「個性の開花とは何か」ってワケでは無いが(過去ログ書いたとおりで”昇華”は必ずしも本当の開放ではなかったりする)MLB大谷翔平君に代表されるように、既存の野球界『共同幻想』を木っ端みじんにぶち壊してしまうなど、言論界などよりよっぽど『共同幻想』崩壊を促進している(昭和においても、それは王・長嶋であり野村であり江夏であり落合であった←当時のサラリーマン達がそこに何を投影していたのか、推して知るべしだ)。
メンタル関連の『認知行動療法』の筆頭も散歩や筋トレ・ランニングであり「非言語分野から探っていこう」ってところあるんだろうと思う。
何が何ってさ、
人類ヒト科も動物ですから(笑
非言語的行動にはどこか野生(ワイルド)に訴える部分もあるでしょう(”同調圧力言語”は勿論のこと、自我構造からの影響をそれだけ受けにくい)。
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